止まらない投票率の低下
時代遅れの選挙活動に若者がシラけている?

 投票率の低下が止まらない。

 2014年12月に行われた衆議院議員選挙の投票率は全国平均で52.7%で、国政選挙としては史上最低を更新した。2015年4月に行われた統一地方選挙でも各地で史上最低を更新し、無投票で当選する人の割合も高かった。特に、若ければ若いほど投票率は低くなる傾向があり、選挙に行ける年齢が引き下げられたことにより、投票へ行かない有権者が増え、ますます投票率は下がることが予想される。

 選挙へ行かない人を「意識が低い」と責めるのはたやすい。

 若い世代においては、もはや選挙へ行かない人の方が多いのが現状であるならば、むしろ選挙へ行く人が「変わり者」で、選挙へ行かない人の方が「まとも」とも言える。選挙へ行かない人は、「意識が低い」から行かないのではなく、選挙という制度そのものに疑問を抱いている可能性が高いのではないか。この「投票へ行くのがバカらしい」と感じてしまう背後には、「間接民主主義」の限界があると筆者は考えている。

「自分たちの代表を選び、議会へ送って議論してもらう」というのが間接民主主義の理屈だが、これがいかに机上の空論でキレイゴトか、少し落ち着いて考えてもらえばわかるだろう。自分たちの代表を選ぶ、と言われても、ほとんどの有権者にとって候補者は知らない人ばかり。国政選挙のような大型選挙になればなるほど、会ったこともない知らない人が候補者になり、政党で選ぶしかなくなる。個人を選べと言われても無理な話だ。

 すなわち、日本の民主主義は危機に瀕しているのだ。

 ちなみに、アメリカでも同じ傾向が強まっているという説がある。かつて上院議員選挙(ミズーリ州)で候補者が飛行機事故で亡くなったにもかかわらず当選したケースがあり、有権者が候補者個人よりも「政党」で選択する傾向が極めて強く、「政党の公認さえ受ければカカシでも当選してしまう」という笑い話まである。ちなみに、この時は当選した故人の妻が上院議員となった。民主主義の先進国と思われているアメリカでさえ、選挙の実態はこんなものである。

 選挙に勝つべく、候補者たちは懸命に自分のことを知ってもらおうと、選挙カーで自分の名前を連呼したり、タスキをかけてペコペコお辞儀をしたり、駅前で名前と顔写真とキレイゴトばかりが並べ立てられたチラシを配布したり、誰も聞いてないのにマイクで演説したりするわけだが、これが逆に普通の人々からすれば「アホらしい」とシラけさせてしまう。

 なぜ、彼らは昭和の香りのするおかしな活動ばかり続けているのだろうか。自分でやっていて「おかしい」と気づかないのだろうか。

 実は、この皆さんをシラけさせている選挙活動こそが、政治の世界への新規参入を阻むために意図的に仕組まれた「参入障壁」だったのだ。