汐留から見える中銀カプセルタワー。建築界では1960年の「メタボリズム運動」を象徴する作品として、内外で評価されている

 日本で最初の民間によるマンションの分譲が行われたのは1956年のことである。高度経済成長に伴い、1970年以降は特に都市部で大量のマンションが供給されるようになった。一方で、その頃に建てられたマンションの老朽化が深刻な問題になっている。

 国土交通省の試算によれば、2012年末時点でのマンションストックは約590万戸。そのうち実際に建て替えられたのは、2013年4月時点で累計183件、約1万4000戸に留まっている。

 建て替えがうまくいったケースのほとんどは、容積率の余剰分だけ建物を高くし、その分を第三者に売却するなどして住民の持ち出しをなくしている。つまり、住民に新たな経済負担が生じる場合、計画は頓挫してしまう可能性が高い。

 築50年を超えるマンションは2030年には32万戸、2033年には129万戸に上ると予想されている。

 そんななか、いったんは管理組合によって建て替え決議がなされたものの、計画が実行されないままに数年の時が経過し、住民の自主的な活動によって保存・再生へと向かい始めたマンションがある。東京・銀座に建つ「中銀カプセルタワービル」である。

老朽マンションの代表格
変わった形で有名な「中銀カプセルタワー」

 第一次オイルショック直前の1972年に竣工した中銀カプセルタワービルは地上13階、地下1階。2本のシャフトにカプセル型の住戸が取り付けられた一風変わった形状をしている。設計したのは、故・黒川紀章氏である。

 取り付けられたカプセルは全部で140個。床面積は10平方メートルで、かなりコンパクトなワンルームタイプとなっている

 高速道路を挟み、汐留の高層ビル群と向かいあうようにして建つこのビルは「まるでSF映画のワンシーンから抜け出してきたようだ」とも言われる。実際、海外の映画でロケ地に使用されたこともあり、熱狂的なファンも多い。半面、その建て替えの困難さからしばしばマスメディアで取り上げられ、老朽マンションを語る際の象徴のようにも扱われてきた。

 管理組合による建て替え決議がなされたのは2007年春のこと。それがなぜ、今も取り壊されず、保存・再生へとコトが動き始めたのだろう。管理組合の監事で、中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト代表の前田達之さんに話をうかがった。

──前田さんは現在、9カプセルを所有されているとうかがいましたが、最初にカプセルを購入されたのはいつですか。

「2010年のことです。勤務している会社が近くにありまして、毎日、この前の道を通っていたんです。なんかいいなとは感じていましたが、すでに取り壊されることが決まっていたので残念だなと思っていたら、たまたま販売の広告を見まして、『えっ、まだ売っているんだ』と。たしか、400万円弱でした。車一台買うくらいの値段だなと思い、衝動的に買ってしまいました」