カリスマ経営者の原点は
神父の教えにあった
評者はゴーン氏が『ルネッサンス』を上梓した当時、自動車担当記者として、ゴーン氏に取材する立場にあった。
氏をインタビューする時、まず感じ入ったのは、語り口の明快さである。相手の目をじっと見据えながら、日本人にもわかりやすい明瞭な表現、簡潔な言葉選びをしていた。
『ルネッサンス』の中のこんな若かりし頃のエピソードを読んで、得心がいったものである。ゴーン氏はレバノン時代、イエズス会系のハイスクールに通っていた。問題児の烙印を押されていたゴーン氏だが、高尊敬すべき高齢のイエズス会神父に出会う。「神父の教えはいまも私の中に息づいている」という。
ラグロヴォール神父はその後の人生にも十分通じる教訓を与えてくれた。物事には明晰さ、簡潔さが必要だという教訓である。また、正しい人生を追求することがいかに重要かということも語ってくれた。
「アマチュアは問題を複雑にし、プロは明晰さと簡潔さを求める」
「まず耳を済ませなさい。考えるのはそれからです。大事なのは、自分の考えを可能な限りわかりやすい方法で表現するよう努め、何事も簡潔にし、自分でやるといったことは必ずやり遂げることです」(22ページ)
トップクラスの成績をあげたゴーン青年はその後、母の母国であるフランスの大学に進む道を選ぶ。ビジネススクール入学への思いを強くしていたが、「数学が良くできるのにもったいない」と親族に諭され、パリのエコール・ポリテクニーク(国立理工科学校)に進む。さらにエコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)に学び、卒業を間近に控えた24歳当時、フランスのタイヤメーカー、ミシュランから声がかかる。ブラジルに工場を建設中だった同社は、ブラジルに精通したエンジニア候補生を求めていた。
ミシュランのオファーは「研修の後、R&Dセンターに配属する」というものだったが、ゴーン氏はここで首を横に振る。「私はR&Dでなく、製造部門から出発したい」というのである。本人には、このころから“プロ経営者”への道のりが見えていたというべきか。
会社の全体像を手っ取り早く知るには製造部門は格好の場所だと思った。工場労働者や技術者、スーパーバイザー、マネジャーなどさまざまな職務に携わる人々を観察することができるからだ。実際、のちに工場労働者として経験を積むにつれて、製造部門こそ、現場からトップ・マネジメントまでの会社全体の仕事や問題を把握するのにうってつけの場所だということを学んだ。
ミシュラン側は私がR&Dへの配属を断るとは思ってもいなかった。私のようにエンジニアリングの高等教育を受けた者はR&Dテクニカルセンターを希望するものと思い込んでいたからである。(中略)研究所から出発したのでは会社の全体像を十分に理解することはできない。(35ページ)