尾道自由大学で「神社学」を教え、日本全国津々浦々の神社を巡る旅を続けている中村真氏。近著「日本の神さまと暮らす法」(ダイヤモンド社)では、神社ライルの素晴らしさを伝えていますが、そもそも神社へ興味を持ったきっかけとはどんなことだったのでしょうか。

前回は、世界を旅するなかで、「日本人としての自分を大切にしたい」という思いへ終着した海外でのご経験を振り返っていただきました。今回は、温泉の数よりも、コンビニの数よりも多い神社に興味が向かうまでのお話を伺います。中村さんにとって神社とはどんな存在なのでしょうか―――

神社との出会い
「名前なんて知らない!」発言に衝撃

―世界放浪の旅から日本に戻ってきてどんな生活を送っていたのですか。

中村:日本に戻ってきたときは、当然のことながら仕事もお金もない状態でした。就職活動もしましたが、バブル崩壊の影響と怪しい世界放浪者を受け入れてくれる企業はなく、なんと試験を受けた42社全滅!笑 しかし、不思議と焦る気持ちは湧いてきませんでした。世界の「生きるか死ぬか」の過酷な状況を目にしていたので、どんな状態でも「死にはしない」とたかをくくれたのだと思います。

 そして、バイトなどをしながら、日本を知る活動をすることにしました。どんなふうに日本を巡るかは、海外にいるときから考えていました。海外で貧乏旅行をしていると、お風呂に入れません。そのため、「日本の素晴らしさといえば温泉!」という発想になっていったのです。「絶対温泉巡りの旅に出るぞ!」と決意して帰国し、実際にヒッチハイクやバイクなどで出かけ全国の温泉に浸かりました。

―日本への関心の入口は温泉だったのですね。そこからどう神社に興味が向かっていくのですか。

中村:全国を巡っていると、当然のことながら温泉よりも神社の方が数が多い。私は神田生まれなので、小さい頃から家の周囲を見渡せばたくさんの神社がありました。そのため、「神社はたくさんあるもの」という意識は持っていたのですが、日本全国に飛び出して、改めてその圧倒的な数に気づかされました。秘湯の地と呼ばれる場所に分け入って入ると、そこに神社もある。どうしてこんなにもたくさん神社があるのだろう…と純粋に関心を持ちました。

―なるほど。神社のあまりの数に驚いたのがきっかけだったのですね。

中村:次第に、日本人の独特の信仰感にも興味を持っていました。日本人に信仰を聞くと、「無宗教」と答える人がすごく多いといわれています。確かに、他国と比較して、特定の神さまを信仰してはいない人が多いでしょう。一方で、多くの日本人が初詣は神社にいき、結婚式は教会で行い、お葬式はお坊さんを呼ぶという、すべての宗教を取り入れて楽しんでいるという側面があります。

 この前提には、八百万(やおよろず)の神を信仰してきた神道の礎が日本人に根ざしているからなのではないでしょうか。

―日本人独特の信仰感に少しずつ心惹かれるようになっていったのですね。

地元の人々の心に根付く神社の存在

―神社巡りをはじめるきっかけとなった神社との出会いはありましたか。

中村:温泉巡りの一貫で訪れた土地で、10軒ほどしか人家がない集落なのに神社が3社も建てられている場所があったのです。その一つの参道をおばあちゃんが掃除をしていたので、この人に聞いたらなぜこんな神社が多いのかという謎や、その神社の名前・由来といった情報がわかるだろうと思い、声を掛けたのです。

「この神社のお名前なんでいうんですか」と尋ねると、「名前なんて知らない」という返答。「名前を知らないけれど掃除をしているんですか」と返すと、「祖母、母、そして自分も子どもの頃からここを掃除しているからね」というのです。

 このおばあちゃんとの対話で、ご利益があるからとか、お願いごとをしているからという見返りを求めた気持ちがいっさいない、生活の中に落とし込まれた信仰心の存在に気づかされました。

 同時に宗教と信仰心の違いについても学んだように思います。宗教は戒律などのルールの上で神さまを崇めることですが、信仰はその人個人の価値観で何を大切に生きていくかということ。ですから、毎日お宮を掃除する、毎朝神棚にあいさつをする、二礼二拍一礼でお参りをするなどという「形」は、人それぞれでよい。

 私の神社をライフスタイルに取り入れていこうという思いの原点は、このおばあちゃんとの出会いにあるのだと思います。

―そうした日本人の信仰心は神社巡りの旅の各所で実感しますか。

中村:はい。つい先日、上野原の軍刀利(ぐんだり)神社へ行ってきました。私は集落に入ると自動車のナビを消し、あとは集落の人に話しかけて神社の場所を探すようにしています。大抵4人ほどの人に話しかけなければ、目当ての神社には辿りつけません。すると、そこに根付く人々は思い思いの反応を返してくれます。「遠くからわざわざお参りに来てくれてありがとう」という人もいれば、「よそ者が自分たちの神さまに何の用だ」という態度の人もいます。それぞれが自分の神さまを大切にしている表れだと思います。

 こうやってその土地の人と触れ合うことで、その土地の神さまや神さまがどのように大切にされているのかを知っていくことができるのです。

絶対にかなわない存在を意識できる私の神社ライフ

―中村さんにとっての神社に行く意味を教えてください。

中村:神社の中でも私は修験道や登拝などが行われてきた、自然の神を祀る神社が好きです。そこには、圧倒的な自然の力強さがあります。そうした力の前で、私は自分のちっぽけさを痛感します。すると、こんな私が「生きていることだけで奇跡じゃないか」と感じ、物質的な悩みや欲求はふっとんでいきます

 そして、生きていることへの感謝の念や、自分の生をかけてまっとうしたい誓いなどを思い起こしてくれる場所が神社なのです。

―神さまを感じられるライフスタイルはどんな方におすすめでしょうか。

中村:若い頃の私のように、社会への閉塞感や日本を誇れないという人に勧めたいです。日本人のDNAを最大限に生かす生き方がなんとおもしろいことなのか伝えていきたいと思っています。

 また、自分の存在価値に気付いていない人にも、ぜひ神社に足を運んでほしいです。自著「日本の神さまと暮らす法」にも書いていますが、難しい参拝のルールなどはあとから覚えていけばよいのです。まずは、その圧倒的な存在の前で、自分の価値や本当に自分がしたいことである内面的欲求に目を向けてみてはいかがでしょうか

 私ですら、訪れることができた神社はまだ全体の100分の1ほど。それだけ、神社は多様で、魅力的で、奥深い。私にとって神社巡りは、突き詰めがいのある人生をかけた旅だといえるでしょう。一人でも多くの人に、静謐な神社の旅のとりこになってもらいたいと思っています。

―ありがとうございました!