悔しいけれど、
テレビは「時代の太鼓持ち」
広瀬 秋山さんが、今のように積極的な活動を始めた「きっかけ」は何ですか?
秋山 私は1942年生まれで、広瀬さんと同じ世代ですが、僕らの世代では、もうあの世に行った人間がいっぱいいますよ。
僕自身、戦争中には世田谷で米軍機の機銃掃射を受けて、おふくろが僕をドブに押し込んで、覆いかぶさって、そのすぐ脇に銃弾が打ち込まれたそうです。1945年3月10日の東京大空襲では、同世代で死んだ子がたくさんいますよね。
野坂昭如の小説『火垂(ほた)るの墓』のセツ子は僕の一つ上のはずですよ、生きていれば。おびただしい屍の延長に僕らの命があるわけです。
それを考えていくと、今まで体を張ってこなかった分だけでも、張ったっていいじゃないかという気分になったのです。
広瀬 鹿児島で酷暑の海岸のテントにいたら、秋山さんが入ってきたので、びっくりしました。まさかここにはこないだろう、と思っていたので、うれしかった。もうこれで、秋山さんとデモ・集会で一緒に歩くのは、福井で二度、博多、松山、福島、日比谷公園、鹿児島と七度目ですからね。
秋山 現地の人がわざわざ京都にまで電話をくれたのは危機感を持っていたからですよ。そういう声に反応をしなければ仲間ではないでしょう。
その日のうちに急いで大阪に行き、朝一番の「さくら」で鹿児島まで行きました。
ああいうときは、人数で圧倒しないと、小役人になめられる。あの浜辺に2000人いれば、規制しようがないと思いました。2000人に対応するには6000人の警官がいないとダメですから。鹿児島県警が急にそんなに動員できるわけない、という計算です。
広瀬 元TBSテレビ記者の秋山さんから見て、最近のテレビ報道はどうですか?
秋山 最近、マスメディアはスポーツの祭典の報道ばかり目立ちますね。安保法制問題、原発再稼働の問題が取り上げられることがどんどん少なくなっている。あるテーマが消えて、別のものが番組を占拠していくと、記憶の上塗りが行われていきます。
すると、多くの人の意識の中で「あれは終わったものだ」という意識になってしまう。
くやしいけれど、テレビは時代の「太鼓持ち」です。状況次第で「権力の番犬」にもなってしまう。
安保法制のデモなんか、いくらやってもテレビは取材にきません。大学にいる若者たちは、「あんなにやっても全然テレビで取り上げてくれない」と嘆くので、「この時期のデモは意味があるから取り上げない。それだけ意味があることなんだ」と言ってあげています。「この季節のテレビは、意味のないことしか伝えない」と思え、とね。
広瀬 事実、その通りですね。重大事を忘れさせるマシーンが、テレビですよ。
秋山 それに対抗するには、リアルな世界で問題が存在することを見せるべきだと思う。おかしいと発信し続けることが、一番大切です。
9月19日に安全保障関連法案が成立したので、「1000人委員会」では、毎月19日に街頭活動を必ずやると決めています。最終的には一人になって、「あのおかしなジジイはまだいる」と言われても、メッセージを届け続けるのが、僕らの世代の仕事だと思っています。それに今は、マスメディアがなくても、ネットという手段があります。
広瀬 そうです。われわれは正道を歩んでいるのだから、行動する時に、とやかく考える必要はない。私がフクシマ原発事故後に決めたことは、「躊躇するな!」です。できることは、すべてやります。