「女性は優秀、でも……」
企業社会で根強いジェンダーバイアス
安倍内閣は女性の活躍を大きく取り上げています。日本でも女性の7割近くが就労しているのですが、管理職や幹部になるという「指導的地位」の女性が圧倒的に少ないことが大きな課題の1つです。そこで、政府は「2020年までに指導的地位の女性比率を30%に」という野心的な目標を掲げ、官庁や企業で「女性活躍のための幹部研修」や「女性活躍推進室設立」が本格化することになっています。
女性が活躍できる企業は社員の柔軟な働き方を認めていて生産性が高い傾向がある、女性を含め多様性を重んじる組織からイノベーションが生み出される可能性が高い、過度の同質性が存在するガバナンスはリスクをもたらす、といった理由で、日本でもようやく「わが社の女性活躍を考えなければ」という経営者が増えているのでしょう
実際、「女性は優秀」と発言する経営者に最近よくお会いします。「試験をすると上位者は女性ばかり」「女性の好業績に驚いた」といった具合です。ただし、こういった発言は女性の能力をもともと過小評価していたことが前提になっているようにも聞こえます。
「優秀」は学校の成績を念頭に置いているのでしょうか。大学の教員を務める私としては、成績は男女差よりも個人差、と日頃から感じているので、女性と男性の間に能力差がないことにやっと気づいてもらえたか、と進歩は感じます。しかし、「女性に仕事を任せるとよくできる」といった意見をおっしゃる経営者が、なかなかいないのはちょっと残念です。
「高橋尚子選手にはマラソンで勝てないからね」と言う啓蒙的な管理職の方も、「なでしこは女子ワールドカップで優勝したけど、なでしこが男子大学生のチームと試合をすると負けるんだって」という話題になると、「やっぱりそうか」とほっとしているようにも見えます。
女性の能力に対する偏見、ジェンダーバイアスは依然根強く存在します。
「父親と息子が交通事故に遭い、息子は一命をとりとめ病院に運ばれた。外科医が来て言った。『この患者は手術できない。自分の息子だから』」
この文章を読んで、「最初の記述にある父親と息子が間違いでは」と思ったり、すぐには中身が理解できなかったりした人が少なからずいます。「外科医が母親である」ということが、すぐに思い浮かばないからです。