なぜ「学ぶ一辺倒」がリスクになるのか?

しかし、いよいよそういう状況が変わり始めている。
なぜそう言えるのか?
いま僕が「考える」をすすめるのには2つの理由がある。

(1)「学ぶ」の競合が増えている(人材がグローバル化している)
(2)「学ぶ」の価値が下がっている(知識が大衆化している)

第1の理由「競合が増えている」というのは、いわゆる人材のグローバル化のことを指している。たとえ学生時代のあなたがまずまず成績優秀で、いい大学を卒業していて、学ぶ力に優位性を見出しているのだとしても、それはたかだか日本国内の競争環境での話にすぎない。
もはや事情が変わり、これからは「世界中の学歴エリート」がライバルになる。

あなたと同程度またはそれ以上に「学力」がある人材は、中国やインドに何人くらいいるだろうか?
「学び」という戦場にとどまっている限り、気が遠くなるほど大勢のライバルがあなたのまわりに出現しはじめるだろう。そんな中で、もみくちゃになりながら戦うのは、あまりスマートだとは言えない。

そしてもう1つの大きな理由は、情報へのアクセス環境が整ったことで、知識の相対的価値が暴落したということだ。
「学ぶ」が競争力の源泉になり得るのは、情報の格差があるときだ。つまり、あなたが何かを知っていて、競合がそれを知らないときに初めて、その情報は武器になり得る。

かつてのビジネスは、知識だけで勝負ができた。つまり、特定の情報にアクセスできるネットワークや資金力を持っていさえすれば、圧倒的優位に立てた時代が存在したのだ。

BCG時代のある先輩は「昔は本当にチョロかった……」とよく口にしていた。
どんな企業がクライアントであっても、横文字混じりで「アメリカではこういう経営手法が最先端なんですよ」と話せば、容易に案件がとれたというのだ。まさに情報ギャップゆえに、「知っている」だけで優位に立てたという時代だ。
戦略コンサルのように「思考力」で勝負するはずの世界ですら、このような状況だったのである。日本人がいかに考えなくてよかったかを示す好例だろう。