佐藤優氏が書評で絶賛し、注目を集めている『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか ― 論理思考のシンプルな本質』。累計100万PVも目前のこの人気連載も、ついに第30回を数える。
かつてMBA(経営学修士)には「1億円」以上の価値があった。
それがいまではどうか? MBAの価値が「暴落」した理由について考えてみる。
■佐藤優氏による書評
佐藤優・評(「今週の本棚」『毎日新聞』2015年11月8日付 朝刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20151108ddm015070014000c.html
僕たちはいつまで「学ぶ」を続けるのか?
前回の連載では、「日本のエリート育成システム」が明治時代にドイツなどから「輸入」されたものであるという話をした。
全国から「勉強のできる人材」を「東京(帝国)大学」にかき集め、その中の「成績優秀者」を「官僚機構」に取り込む――そうすることで日本は急速に諸外国の知を取り込み(というと聞こえはいいが、要するに外国のノウハウを「パクる」ことに専念し)、世界の大国の仲間入りをすることができた。
※参考:連載第29回
「知の巨人」はこう読んだ!
偏差値秀才のための「大人の教科書」
だが、ここで現代日本に目を転じると、少々首を傾げたくなる事態が続いていることに気づく。
いまだに(!)日本にはこのシステムが根強く残っているのだ。
多少のトレンド変化はあるにしても、やはり勉強のできる子どもたちの大多数は、東大を始めとした有名大学に入学し、その成績優秀者の多くは国家公務員や大企業社員になる。
もはや日本はどこかの国のマネをする必要がなくなっているはずなのに、依然として「学習」を重視する風潮が続いているのである。
もちろん、「考える」ことの重要性は、いつの時代も訴えられてきた。それにもかかわらず、この古いシステムが残っているのはなぜなのか?
結局のところ、やはりこれまでは「考える」必要などなかったということなのだ。他人が考えてくれたものを学び、それを使って答えを出したほうがよほど効率がいいということを、日本人の誰もが知っていたのである。