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安っぽい正義を見抜け!
18歳選挙権「満場一致賛成」の欺瞞
昨年注目された法改正の1つに、国民が選挙に行ける年齢を18歳へ引き下げた公職選挙法改正がある。今年7月の参院選から、18歳と19歳の若者も投票へ行くことができるようになる。選挙権の範囲が広がったのは、実に戦後70年ぶりのことで、高校生を対象にした選挙管理委員会による出張授業や大学生による投票率向上運動などが盛んになってきており、このこと自体は社会にとって歓迎すべきだろう。
ただ注目すべきは、この改正案が国会議員たちの満場一致で決議されたという事実である。もし、選挙権年齢の引き下げが選挙結果に大きな影響を与えるなら、自分の保身を第一に考える国会議員の先生方が満場一致で賛成するわけがない。そう。実は選挙権年齢引き下げの影響は、ほとんどないのである。
まず、若者の人口は圧倒的に少ない。18歳、19歳の若者の人口割合は全有権者数の2%程度でしかない。しかも、ただでさえ母数が少ないのに、投票率が相対的に低い。さらに、若者だからといって、大人達と異なる主義主張を持っているとは必ずしも限らない。昨年20歳の若者が選挙に行けなかったことを理由に裁判を起こして話題になった。そのこと自体を否定するつもりはないが、そこまでして選挙へ行ったとして、そもそも誰に票を投じれば「若者の声」とやらが国政に届くのか、さっぱりわからないのが、選挙という制度の限界である。
大正デモクラシーと呼ばれる民主化運動の成果として、1925年に25歳以上の男性すべてに選挙権が与えられた。たった90年前の出来事である。つい90年前まで、ほとんどの日本人は選挙へ行くこともできなかった。それが急にこの時点から、政治家は顔のわからない「大衆」に選ばれることとなった。国会議員が「大衆」に媚びることによって、議員であり続けるために地元を駆け回り、耳触りのよいキャッチコピーを叫びまわるようになったのは、この時からだ。
いわば、日本の民主主義は「Democracy」の輸入品でしかないため、25歳だの20歳だのと決められているのも、海外の事例を参考にして当時の平均余命などをもとに「えいや」で決めただけのものでしかない。それが21世紀を迎えた今でも妥当かどうか、という本質的議論には誰も踏み込んでいない。日本の民主主義は、実はまだまだ根付いていない不完全な代物なのである。
そもそも「若者の声」とは具体的に何だろう。10代の若者が投票へ行ったところで、結局は時の与党に入れるか、有名人に入れるか、マスコミに流されるか、両親に言われた候補者に入れるか、という若者ばかりでは意味がない。「若者の声を聴け!」と言われても、そもそもその「若者の声」の中身がなければ、聞きようがない。これは若者に限らず、有権者全員にも言えることかもしれないが。
前述の安保法可決の際に話題になった学生団体SEALDsにしても、その活動自体を否定するつもりはないが、国会議事堂の前で騒いだり踊り狂ったりしたところで、なんら意味のある力にはならない。正々堂々と選挙に出て支持を募る。この努力なしには、間接民主主義における変革の力にはならない。SEALDsの活動が単なる一過性のものだったのかどうかは、次の選挙でどこまで実行力を示せるか、によるのである。