ロンドン証券取引所は、債券や株式の取引の場として、英国の戦費調達や、産業革命によって急成長した鉄道や運河、鉱山事業を支えました。ロスチャイルドやベアリングといった主に大口顧客を相手にするマーチャントバンクの活躍により、英国は当時の金融資本市場の中心地として君臨しました。

 英国で始まった産業革命は1830年頃に米国へ伝わり、工業化を加速させました。これによって発展した製鉄や石炭などの産業は、より多額の資金を必要とし、CB(転換社債)やCP(コマーシャルペーパー)、ワラント債という新たな金融商品が生まれる原動力になりました。

 ところが、1914年に戦端が開かれた第一次世界大戦により、英国は多額の戦争債務と財政赤字という重荷を背負います。逆に、戦争による特需に沸いた米国は、英国に代わって金融資本市場のリーダーになりました。基軸通貨もポンドからドルに代わります。

 一方、専門性を重視するあまり、ロンドンの金融市場「シティ」は次第に閉鎖的になり、1970年代のサッチャー改革を迎えるまで、長期間、緩やかな衰退を続けます。

国家経営と不可分だった
米国金融の歴史

 さて、第一次大戦以来今日に至るまで、一世紀以上世界金融のリーダーであり続ける米国の歴史を見れば、連邦政府の成立自体が金融問題そのものだったことがわかります。18世紀末、アメリカ13諸州は英国から独立を勝ち取ったものの、中央政府は事実上存在せず、膨らんだ戦時債務の返済にめどが立ちませんでした。米国の信用は下落し、債券価格は大きく元本割れする状態でした。

 こうした国家的な危機を迎え、独立戦争の総司令官だったワシントン(初代大統領)と、その片腕ハミルトン(初代財務長官)が中心となって、実効ある「連邦政府」をつくり、米国の信用を確立し、兵士に対する年金などの戦時債務を弁済しようとしたのが、1788年に発効した合衆国憲法の背景です。

 各州の債務は連邦政府に移管され、連邦政府は独自の税収として確立された関税収入を債務返済に充てました。この歴史を振り返るならば、連邦政府がなく、独自の財源もない現在のEUでユーロ問題の解決が容易でないことも実感できるというものでしょう。