米国はアンシャンレジューム(古い体制)から逃れた人たちが建国したお国柄です。権力の集中を忌み嫌う政治的伝統があり、チェック・アンド・バランスの仕組みへの志向が根強く存在します。サブプライムローンという複雑かつ不完全な金融商品のチェックに不備があったのは、そのような事情で金融監督制度が分散化していた弊害が指摘されました。

 これを受け、世界金融危機後、監督機能に漏れがないようにし、また金融機関の破綻処理法の整備、店頭デリバティブ規制の強化などを定めたドッド・フランク法(金融規制改革法)が整備されることとなりましたが、規制が厳しくなりすぎることで経済の活性化が阻害されないか、という懸念も生じています。

イノベーションに向けて
日本の金融の歴史から何を学ぶか

 金融資本市場の発達の中で、日本はどうだったのでしょう。日本は世界に先駆け、1730年に大阪の堂島で米の先物取引を始めたことは、世界の金融史上でも特筆すべきことだと思います。

 しかし、鎖国のため、欧米に比べて日本の金融が出遅れたのも事実です。明治時代にバンクを「銀行」と訳したのは、銀が当時東アジアで共通の交換手段として通用していたためのようです。ちなみに「行」はお店の意味です。維新後の1870年に、ようやくロンドン市場でポンド建ての日本国債が初めて取引されました。ただし、当時の利率などは発展途上国の中でもあまりいいものではありませんでした。

 日本に取引所が生まれたのは1878年です。条例が制定され、東京と大阪に初の株式取引所が誕生しました。鉄道会社や海運会社、紡績会社などが相次いで上場を果たしますが、1906年に鉄道国有法が制定され、ほとんどの鉄道株は国に収用されます。渋沢栄一を始め、国有化には反対の意見も多かったようですが、結果として民営の鉄道株は消滅してしまいました。

 こうして見てくると、日本の金融市場の発達の遅さも、単に経済発展の後進性と言うことでは片づけられないものがあります。制度設計、特に規制の在り様によるところが大きいからです。同調的な投資行動が多く、米国市場の後追いになるとはよく指摘されますが、内外の金融の歴史に学べば、日本発の金融イノベーションも生まれるかもしれません。