同じ相手に、
同じ手は通用しない。
彼は、自分の成功体験から、独仏国境に強大な要塞建設を支持しました。所謂「マジノ線」です。時代は常に進んでおり、特に手痛い敗北を喫した側は、死に物狂いで敗因を研究し尽くし、対策を練るものです。
今回勝てたからといって、同じ手で同じ相手に臨むならば、必ずや手痛い敗北を喫することになります。勝ったればこそ、より一層研究を尽くして、相手の対策の上を行く戦略をあらかじめ練っておかなければなりません。
「勝って兜の緒を締めよ」とはこのことです。ところが、すでに老境に入っていたペタンにはこうしたことがまったく理解できませんでした。
人間は歳を取れば取るほど、新しいものを受け容れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来にも通用すると思い込んでしまいがちです。それが「老害」です。
要塞さえあれば、たとえ将来ドイツ軍が津波の如く攻め寄せようとも、縦深陣地戦術で敵を破ることができる!
同じ手が通用するのは、敵がよほどのマヌケの場合だけです。しかも、要塞というものは、爆撃機が存在しない時代の遺物です。空から雨あられと空襲を受けたのでは、要塞は護り切れるものではありません。ペタンはそうした時代の動きが見えない“老害”そのものとなっていきましたが、イメージ先行の国民はペタンに期待し続けるという悲劇が生まれていました。
そして売国奴へ
やがて、第二次世界大戦が勃発します。軍事予算の多くを傾けて造りあげたマジノ線は何の役にも立たず、ドイツ軍はあっという間に英仏連合軍を駆逐しながら、首都パリまで快進撃しました。
「嗚呼、もう駄目か!? なんのなんの、ドイツ軍など恐るるに足らず!こっちにはまだ『救国の英雄』ペタン将軍がおられるのだ!」
こうして、英雄(ペタン)が担ぎ出されます。しかし、このときすでに84歳となっていた彼には、ヒトラーと戦う戦術もなく、気力すら残されていませんでした。
20年前、“救国の英雄”だったペタンは、そのころ名もなき敗軍の伍長にすぎなかったヒトラーの前にあっけなくその膝を突くことになりました。ペタンは戦後、「売国奴」として裁判にかけられたときに述べています。
「ヴェルダンの功によって、私の軍事的精神は鎖されてしまった。戦後、新しい道具、新しい兵器、新しい戦術が次々と発明され、導入されていったにもかかわらず、私はそれに無関心だったのだ」
彼が19世紀の軍事知識のまま、20世紀の新しい戦争に対応できず、「時代に取り残された」故の悲劇でした。
しかし、彼の場合、第一次大戦終了時にすでに老齢でしたので、それ自体は責めることは酷かもしれません。
彼の罪深きは、先進の精神を失ったこと自体ではなく、それを自覚できず、いつまでも新時代に口を挟んだことです。
老いては「子」に従え
たとえ若いころどんなに優秀だったとしても、人は老いれば、多かれ少なかれ頭が固くなり、時代に取り残され、古いやり方に固執するものです。
それは、「常に状況の変化に応じて、臨機応変に対応する」ことができなくなることを意味します。
したがって、彼は事後のことは潔く後進に譲るべきでした。ペタンは、死刑判決を受けたあと、当時の大統領ド・ゴールによって罪一等を減じられ、無期禁固刑に減刑されます。
そして、死刑判決から5年後。彼は流刑地の孤島で淋しく人生を終えました。享年95。彼が道を踏み誤ることなく、後進に道を譲っていれば、豊かで充実した余生を送り、現在に至るまで「英雄」として讃えられ続けたでしょうに。