どれほど優れた人物であっても、自分ひとりの力だけで、結果を出すことはできません。周囲の支え、サポートあってこそです。本日の主役は、「大帝」と呼ばれた名君とその妻です。世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。
偉大な名皇帝とその妻の物語
ヨーロッパにおいて、古代を代表する大帝国が「ローマ帝国(27B.C.–A.D.395)」とするなら、中世を代表する大帝国がそこから分かれた「東ローマ帝国(A.D.395 –1453)」です。
千年の歴史を誇るこの帝国の長い歴史の中でも、その絶頂期の皇帝。それがユスティニアヌス大帝です。
その帝国最初の危機は、建国してまだ100年ほどしか経っていない532年に起きましたが、このときの皇帝こそ、ユスティニアヌス大帝です。本日は彼と、その妻であるテオドラのエピソードです。
国は混乱し、そして。。。
まず、当時の状況をお話しします。彼が即位したとき、すでに帝国はその屋台骨が揺らいでいました。そもそも帝国成立の契機となったのはゲルマン民族の侵寇。その混乱の中で古代ローマ帝国は自らの大身を支えられなくなり東西に分裂、さらに西の帝国は、そののち100年と保たずに滅亡してしまいます。
こうして「西」はあっけなく亡んでしまいましたが、「東」も他人事ではありませんでした。ゲルマンの脅威に加え、東からはサーサーン朝の侵寇も加わり、内には叛乱が相次ぎ、混迷をきわめていました。こんなときこそ宮廷がしっかりしなければならないのに、宮廷では利権争いに明け暮れ、クーデターや陰謀が渦巻き、帝位が頻繁に代わる有様。
そんな状況で即位したユスティニアヌス大帝は、ただちに行政改革・司法改革・徴税改革・教会改革・教育改革と、ありとあらゆる改革を一気に推し進めていきました。しかし、それが裏目に出てしまいます。そもそも改革は必ず抵抗勢力を伴うものです。
反乱勃発! 押し寄せる叛徒たち
案の定、上は元老院議員から下は無産市民まで、幅広い反発を受け、ついに大きな叛乱となって爆発してしまいます。それこそが、いわゆる「ニカの乱」です。
事態は急速に悪化していき、暴徒の歓声と怒号が宮殿の奥にまで響く中、皇帝と側近たちが善後策を練っていました。側近のベリサリオス将軍が叫びます。
「陛下!叛徒どもなど恐るるに足りませんぞ!あんな者ども、所詮は烏合の衆。やつらが担ぎ出した神輿さえ捕らえてしまえば、たちまち乱は鎮まります!すべてこの私めにお任せあれ!」
心強いベリサリオス将軍の言葉に、ユスティニアヌス1世も勇気づけられます。「よし、そちに任せた!」
事態の深刻さに、一時は亡命することまで考えていた彼にとって、颯爽と出撃していくベリサリオス将軍の後ろ姿は、さぞや頼もしく見えたことでしょう。
賢妻、テオドラ登場
しかし、将軍はすぐに戻ってきて、ユスティニアヌスに報告します。
「陛下! 失敗しました!」
最後の恃みの綱もあっけなく切れます。ユスティニアヌスの心はここで折れ、天を仰ぎます。「もはや万策尽きた! 余は亡命するぞ!ただちに全財産を船に積み込め!」
亡命準備が着々と進む中、そこにひとりの女性が現れます。皇后テオドラです。彼女はユスティニアヌスに見初められ皇后となる前は踊り子でした。「踊り子」と言えば聞こえはいいですが、その名を借りた売春婦です。この状況下で、彼女はどう動いたのでしょうか。