誰もできなかった「大量培養」成功の秘訣とは?

出雲 川村さんが言うように、生物史上最強にタフなやつなので、「ミドリムシは地球を救う」という論文や研究も1980年代からたくさん存在していたんですけど、残念ながら、何十年も大量培養の壁に阻まれていたんです。

川村 その大量培養を世界で初めて出雲さんが成功させた。どんなブレイクスルーがあったんですか?

出雲 実はもともと僕は理系ではなく文系に所属していて、ミドリムシに出会って農学部に転部したんですけど、卒業するときはミドリムシの「ミ」くらいしかわかってなくて箸にも棒にもかからないレベルだったので、大学には残らずいったん銀行に就職したんです。銀行員生活を送りながら、細々と培養の研究をやり、土日になると日本中のミドリムシ研究の先生を訪ね歩いていました。

川村 銀行員をやりながら始めたんですね。

出雲 でもある日、「銀行員の片手間でふらっと来たところで研究者がずっとやってきたことができるわけがない。虫がよすぎるんじゃないか」と言われて。そこで覚悟して会社を辞めて、ミドリムシ一本に人生を切り替えました。結果、路頭に迷うわけですが、今度は日本中のミドリムシの先生方が「自分たちが邪険にしたせいで、銀行を辞めさせてしまったんじゃないか。これで飢え死にでもさせたら、枕元に化けて出てくるんじゃないか」と自責の念にかられたのか、学閥とかを取っ払って親身になってくれて、「僕の知ってることは、何でも教える」と。

川村 銀行を辞めたというインパクトが、出雲さんに日本中の情報を集約させることになって、研究が進んだんですね。

出雲 いろいろな先生を訪ね歩くなかではっと気づいたのは、理系の大学人は論文でも学会でも、成功して結果が出た話しか共有する場がないことでした。効率を上げるという発想がないので、「ミドリムシのここが難しいよね」という失敗談をずっとシェアしてこなかったんです。だから、みんな似たようなミスを繰り返していて。

川村 出雲さんは全体を俯瞰することができたから、気付けたんですね。

出雲 それまで大量培養の方法は天敵を入れないための“蚊帳方式”でした。ミドリムシは栄養価が高いから、バクテリアに食べられてしまう。だから、失敗すると二重、三重に蚊帳を重ねていく…という研究がされてきた。でも、僕は発想を変えて「“蚊取り線香方式”はどうだろう」と考えました。これが1つ目のブレイクスルーです。

川村 突然、ひらめいたんですか?

出雲 お風呂の中で(笑)。当時はお金もなかったので、地方の大学の先生を訪ねるときは格安の夜行バスを使っていたんです。でも到着するのが早朝で、大学が始まるまで時間を潰さないといけない。それで銭湯に行く。すると決まってアイデアが下りてくるんです。そのうち防水のガラケーを買って、お風呂の中で思いついたことがあると自分宛てにメールを飛ばすようになりました。水などのフィジカルな刺激は神経細胞に物理的な刺激を与えて、使っていない脳の部位をアクティブにしてくれます。