つまり、バランスシート調整のあとの一過性の厳冬ないし不況ではなく、いつまで経っても春は来ない。だから、期待にはたらきかける金融政策だけではうまくいかない、ということになる。日本の人口動態についての理解を深めたクルーグマンが、このサマーズの議論を踏まえ、自分でも期待に働きかける金融政策の有効性に懐疑的になった、というのが「期待に働きかける金融政策」論の現状ではないでしょうか。

今は景気循環より潜在成長力低下トレンドの影響が大きい
経済成長がマイナスになる前提でシナリオを描くべき

井堀 中長期的な視野で見ると、やはり人口減少の影響は非常に大きいんですよね。

 確かに日本の場合は中長期的な人口減少の影響は大きいと思います。将来的に国内需要が減り続け国内で投資をしても仕方がないと思われるなか、金融政策だけでインフレ期待を押し上げることができ、それで実質金利を低下させれば国内投資が増える、という、機械論的なストーリーには無理があると思います。

翁邦雄(おきな・くにお)プロフィル/京都大学公共政策大学院教授。1974年東京大学経済学部卒業。同年、日本銀行入行。シカゴ大学Ph.D.(Economics)取得。日本銀行金融研究所長を経て、2009年4月より現職。専門は金融論、金融政策論、国際金融論。『期待と投機の経済分析ーー「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、1985年、日経図書文化賞受賞)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社、2011年)、『日本銀行』(ちくま新書、2013年)など著書多数。近著に『経済の大転換と日本銀行』(岩波書店、2015年)。 【写真:住友一俊】

 今の日本の最大の問題が景気循環上の不況か、トレンド的な潜在成長力の低下なのかといえば、人口減少によるトレンドへの影響が圧倒的に大きいのではないでしょうか。ところで井堀さんは「三本の矢」の特に第二の財政政策について、どのように評価されていますか。

井堀 翁さんが言われたとおりですね。景気循環のなかで今たまたま景気が悪くても、今後は景気がよくなっていくという局面であれば、財政状況も短期的によくなると思います。一方、景気に変動はあるけれども潜在的な成長率がトレンドとしてかなり下がっている昨今のような状況において、一時的に景気がいいときは自然増収で増えますが、また景気が後退すれば逆のことが起きるので、ならしてみるとトレンドの影響のほうがずっと大きいわけですよね。

 トレンドとして今後の経済成長率が10%とまでいかなくても5%を超えるような水準が2020年代以降も維持できて、かつ社会保障費を本当に抑制できるという甘いシナリオが描ければ自然体で財政再建することも可能かもしれません。しかし、それはあまりにも現実的でない、というのが私の認識です。

 井堀さんは著書で、2020年代に経済成長率はマイナスになるのではないかとも指摘していましたね。

井堀 政府の財政再建目標も2020年代初めぐらいまでのシナリオなので、景気にしても経済成長にしても当面は良くなるという前提でしか描かれていません。しかし、中長期的には人口減少の影響がさらに深刻化します。2020年代に経済成長率がマイナスになるというのは、良い・悪いは別として、客観的な予想としてはかなりもっともらしいのではないかと思っています。

 つまり、経済成長がマイナスになるという伸長なシナリオの前提で財政再建も社会保障制度改革もきちんと考えなければならないはずです。

 もちろん、経済成長がプラスに転じるために、イノベーションや、それを生み出すためのさまざまな規制改革も必要でしょう。たとえばアメリカでは沢山の移民を受け入れて、異質な人の交流やプレッシャーのなかで多くのイノベーションが生まれている側面があると思います。でも日本の場合は移民政策ひとつとっても消極的ですし、多くの国民が安心・安全な今の生活を維持して、このまま静かに一生暮らせればいいなと思っている状態ですから、イノベーションも期待できません。ダイナミックな社会では摩擦や失敗はつきものです。そうしたマイナス面を甘受しても、活性化のメリットを求めるのであれば、国民にもそれなりの覚悟が必要でしょう。

 この対談の冒頭で井堀さんは、アベノミクスの三本の矢について「短期の景気対策」と述べられましたが、安倍さんは、本来取り組みたい憲法改正などを実現するまでは、なんとしても国民の支持をつなぎとめておきたいのだと思います。そのために短期決戦的な経済政策を採っているのではないでしょうか。安倍政権は株価を重視しているといわれていますが、悲願の政治的目標の達成まで高い支持率を維持しておくために、経済活動を高水準に保ちたい、その手っ取り早いメルクマールになるのが株価、ということではないか、と思います。

 問題は、金融政策に短期的に景気を持ち上げる力があったとして、井堀さんが著書でも指摘されていたように、長期的な視点でみてそれがプラスと言えるのか、ということをよく考える必要があると思っています。