能動的に人を愛することを
どこかで避けてきた
株式会社バトンズ代表。ライター。1973年福岡生まれ。書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションの分野で数多くのベストセラーを手掛ける。2014年、「ビジネス書ライターという存在に光を当て、その地位を大きく向上させた」として、ビジネス書大賞2014・審査員特別賞受賞。前作『嫌われる勇気』刊行後、アドラー心理学の理論と実践の間で思い悩み、ふたたび京都の岸見一郎氏を訪ねる。数十時間にわたる議論を重ねた後、「勇気の二部作」完結編としての『幸せになる勇気』をまとめ上げた。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。
古賀 幸せになりたいと言いながら、これまでは幸せになる勇気が持てなかったというのは、なぜですか。
小林 いまの自分には何かが欠けていると思うほうが、安心するんです。「わたしたち」になるための相手が存在せず、結婚という目的が果たされていない。幸せになる手前で、「幸せになりたい」と思っているほうが精神的にラクというか……。
岸見 現在の自分が充足していて、もっと幸せになりたいと願うことは、問題じゃないですよ。いまの自分は幸せじゃないから幸せを望むというのだと、話が別ですが。
小林 おそらくこれも、他者との関係に左右されているからだと思います。私が周囲からの評価を気にし過ぎているということは、『嫌われる勇気』を読んだときにわかりました。それまで人に好かれるために行動するのは当然いいことだと思っていたのが、「結局それは自分のため」とガツンと言われて、いかに自分が自己中なのかを思い知った。おそらく幸せになれるかどうかの問題も似たところがあって、子どものころから「麻耶ちゃんってかわいいよね」「頭もよくて先生に気に入られるよね」とかずーっと言われ続けて、そこから妬みによるいじめが始まることもあって、怖かった。だから先回りして自分のマイナスポイントを言って、「ダメな自分」を強調してバランスをとっているんだと思います。「私なんて結婚もできないし」とか言って。
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。世界各国でベストセラーとなり、アドラー心理学の新しい古典となった前作『嫌われる勇気』執筆後は、アドラーが生前そうであったように、世界をより善いところとするため、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』など。『幸せになる勇気』では原案を担当。
岸見 それは、「私は幸せになってはいけない。その資格がない」という感覚ですか?
小林 そう!資格がないという言葉がぴったりです。このことについてずっと考えていて、行き当たった出来事があるんです。アドラーはトラウマの存在を否定しますが、私にとっては重要なことなので、あえて言わせてください。3歳のころ、妹を妊娠中の母親が私の目の前で大量出血をしたことがあるんです。そのとき、私は何もできず、ただ立ち尽くしていた。その記憶が強く残っていて、「私は目の前の母を助けることすらできない、役立たずの娘だ」「そんな人間が幸せになる資格なんてない」という思いに結びついている気がするんです。
岸見 もし、そのときに何か行動していれば、現在の自分は違った考え方ができたと思いますか。
小林 そう思います。私はあのとき、せめて声を出したかった。「大丈夫?」と母に言いたかったんです。
岸見 その能動的な働きかけこそが、「愛すること」です。そのときからいままで、小林さんは相手に能動的な働きかけをしてこなかったという思いがどこかにあって、だから幸せになる資格がないと感じているのかもしれません。逆にいうと、いまそれを自覚できたことで、これからどうするべきかという方向性が見えてきたのではないですか。
小林 そうなんです!まさに本の中で哲人が青年に投げかける「これからどうするか」という問いですね。私の課題は自ら人を信頼し、愛する勇気をもつことだと、シンプルに考えられるようになりました。