美しい花を愛でるには
水をやる責任を避けて通れない
古賀 アドラーが説く能動的な愛情は、男女の結婚に限ったことではありません。自己中の「わたし」だけの世界から、誰かと一緒に歩む「わたしたち」の世界に入っていくのは、別に男女間の愛情でなくてもいいものです。たとえば僕と岸見先生は、何年もかけて一緒に本を作ってきました。アドラー2部作は、先生の研究成果と僕の解釈が混ざった「わたしたちの本」というべきものです。この「わたしたち」で作ったという感覚は、とても心地がいいですよ。
小林 この本はお2人の子どものようなものなんですね。なんだか、うらやましい。
岸見 主語が「わたしたち」になると、そこには責任が生じます。たとえば、花を咲かせるためには、毎日水をやらなければいけません。いくら美しい花を眺めるのが好きだと言っても、水をやる責任を果たさなければ花は枯れてしまいます。2人が愛を結実させるために、共に責任を果たすのが、「わたしたち」の在り方。このあたりは、どうですか。
小林 愛の責任に自ら踏み出すというのは、とても難しいことだと思います。自立したうえで、誰かを全面的に信頼して一緒に責任を果たしていく……。そんなこと、いままでの人生で全くしてきませんでした。先生、どうすればいいんでしょう?
岸見 考え方を変えるのです。水をやるのは面倒でわずらわしいことではありません。2人の関係を良くするために必要なことで、そのための努力は苦痛ではなく、喜びであるはずです。
小林 ひえー!責任を果たすことすら、喜びになる……!
岸見 自分が相手のために水をやるのは損だという考えでは、だめなのです。損得ではない、愛の喜びがあるわけですから。もしあなたが水をやろうとしていたときに、たまたま相手が同じことを考えて水をあげてくれれば、それはそれで「ありがとう」と感謝すればいい。
小林 素敵ですね。でも、全く自信がありません。私には時間がかかりそう。
古賀 たとえば僕の場合、アドラー2部作を執筆し終えて、ようやく「犬を飼う勇気」が出ました。
小林 犬を飼う勇気(笑)?!
古賀 はい(笑)。今まで犬は大好きだったけど、きちんと世話をする自信がなくて、飼っても不幸にするだけだと思って避けていたんです。小学校のときに自分から言い出して飼った犬の世話ができなくて、結局母親が世話をしたという苦い思い出もあって。大人になってからも自分には無理だと思っていました。でも『幸せになる勇気』の執筆を終えて、今なら毎日散歩をして世話をして、犬を幸せにできるかもしれないと思えたんです。もうすぐ、飼い始めます。
小林 すごーい!古賀さん自身にも変化が起きたのですね。
古賀 現実に起きるのは、一足飛びの大変化ではない。もっと現実に即した、小さな変化の積み重ねだと思います。
岸見 そういう小さな変化を繰り返すことが大切なのです。小林さんも焦ることはないですよ。
小林 そうか、変化は徐々に訪れる。私も変われるのかな?
(後編に続く)