『週刊ダイヤモンド』7月2日号の第1特集は「『確率・統計』入門」です。先々はどうなるか分からない。未来は不確実です。ビジネスはそんな厄介な存在を相手にしなければいけません。そこで大いに力を発揮するのが確率・統計を筆頭とした数学。ビジネス現場でとても頼りになる道具なのです。

USJ大躍進の裏に確率・統計のフル活用があった!

 巨大な岩がそそり立つ入り口を通り過ぎると、〝人間界〟とはしばしの別れだ。そこから左右を木々に囲まれた小道をしばらく行くと、その先には〝魔法界〟である「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」が姿を現す──。

 2014年7月、ユー・エス・ジェイが運営する大阪市のテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の一角に、社運を懸けた目玉プロジェクトがお目見えした。超有名ファンタジー作品、「ハリー・ポッター」の世界を再現したエリアがオープンしたのだ。

 ある人には、ハリー・ポッターが操る〝魔法〟のように映っただろう。一時は経営危機のドン底にあった関西のテーマパークが、この大きな賭けに勝ったことで日本全国、そして世界から来場者を集めるテーマパークに生まれ変わり、完全復活を遂げたからだ。

 またある人には、この賭けは〝大ばくち〟に映っただろう。ハリー・ポッター建設の投資総額は450億円。これは当時、ユー・エス・ジェイの年間売上高の約6割に相当し、投資の原資となる利益との対比を考えると、まさにとてつもない巨額投資だったからだ。

 しかし、実はそのどちらでもなかった。成功の裏には〝魔法〟と違って、確率・統計を駆使した数学マーケティングという種も仕掛けもあった。また、〝大ばくち〟にならないように、極限までリスクを抑え、成功確率を高める戦略を実行した1人の男がいたのだ。

 それが、ユー・エス・ジェイのチーフ・マーケティング・オフィサーである森岡毅だ。

「お子さんがいたら、確率・統計の勉強をさせてほしい」「数学は役に立たないといわれるが、それは逆だということに気付いてほしい」。森岡はそう熱っぽく語る。

 そして、こう結んだ。「テーマパークが数学で変わるんですよ」。

「ワンピース」や「進撃の巨人」と組み新たな顧客を獲得

 世界的な日用品メーカー、米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)でマーケターとして修業を積んだ森岡は、ヘッドハンティングされて10年6月にユー・エス・ジェイへ足を踏み入れた。

 当時の会社は、〝止血〟こそできたものの完全復活には程遠い状況。しかし、自分で描いた戦略を実行できる活躍の場を求めていた森岡にとって、力を存分に振るえる場所だと感じた。

 入社が決まるや否や、森岡の脳内で「確率思考」が一気にフル回転。「成功確率が高いアイデアを成功確率が高い順番で繰り出す」ことを意識し、V字回復のための大戦略を練りだした。

 森岡が考える経営資源の配分先は「プレファレンス」「認知率」「配荷率」に集約されるという。

 プレファレンスとは、主にブランドが持つ資産価値と価格、製品パフォーマンスによって決まる、ブランドに対する消費者の相対的な好みのこと。消費者の購買行動はこれに基づき、ブランドの最大ポテンシャルを決定するため、森岡は最重要視している。

 その足かせとなるのが、他の二つの要因だ。ブランドを知っているか、優先的に思い浮かぶかを示す認知率と、商品を買いたいときに何パーセントの消費者が買える状態にあるかを示す配荷率だ。

 そして、「自社ブランドが選ばれる確率」の正体、プレファレンスを導き出す数式を森岡は駆使する。詳細は割愛するが、専門的な確率分布の式で計算できるという。

 USJの再建を託された森岡は、入社直後からV字回復のための戦略を二段構えで構想していた。一つは、ハリー・ポッターという〝特大ロケット〟だ。しかし、大きな問題があった。再建途上で資金不足の状況において、450億円もの投資資金を捻出しなくてはならなかったのだ。

 そこで、プレファレンス向上に即効性がある〝小型ロケット〟を幾つも打ち上げる作戦に出た。

 確率思考を基に真っ先に取り組んだのが、ファミリー層を狙った新エリア「ユニバーサル・ワンダーランド」の建設だ。12年3月のオープン以降、長年の弱みだったファミリー層が年々増えた。

 その後、確率・統計を活用して10月のハロウィンシーズンや絶叫マシンに伸びしろを見いだし、次々に施策を打っていった。興味深いのは、絶叫マシンの充実を決めた理由だ。回帰分析によって、テーマパーク来場者の年齢別分布と男性ホルモン「テストステロン」の年齢別分泌量に、極めて高い相関性があることを突き止めたという。

 さらに、多くの層のプレファレンスを獲得するために、「映画だけのテーマパーク」からの転身も図った。人気マンガの「ワンピース」や「進撃の巨人」などと組むことで、それまでUSJの弱点だった来場者層を埋めていったのだ。

 確率思考に裏打ちされた森岡のアイデアはことごとくヒット。森岡の読み通り、多くの〝小型ロケット〟がハリー・ポッターのためのキャッシュマシーンに育った。

 同時に進めていたのが、ハリー・ポッターという〝特大ロケット〟打ち上げの成功確率予測だ。巨額の投資だが、森岡は確率・統計で需要予測を算出し、投資回収に一定の自信を持っていた。

 ただ、会社の存亡を左右する案件だったため、森岡は現ユー・エス・ジェイ シニア・アナリストの今西聖貴の元を訪れる。P&G世界本社で20年以上にわたって需要予測モデルの開発を指揮し、世界中のエリートが集まるP&Gの研究機関の中でも、異彩を放っていたという人物だ。

「ハリー・ポッター」認知率90%超えで200万人達成

 森岡は最大級の信頼を寄せる今西の知見を頼り、自分とは別の角度でハリー・ポッターの需要予測を依頼。成功確率のセカンドオピニオンを求めたのだ。

 その後、それまで森岡と今西が独自に計算してきた互いの需要予測結果を出す日が、ついに来た。

 手のひらに数字を書いて「せーの」で見せ合う。すると、強気の森岡からは240万人、楽観的な予測で森岡が失敗しないようにと保守的に見積もった今西からは210万人という数字が出てきた。

「200万人は堅い」。森岡はハリー・ポッターの成功に自信を深め、「リスクが高過ぎる」という社内の猛反対も風向きが変わった。

 それでも、200万人達成のシナリオ実現は一筋縄ではいかなかった。そのためには、前述の認知率で「90%」という驚異の高さが必要だったからだ。日本全国、老若男女のほとんどが「USJにハリー・ポッターのエリアができた」ことを知っている状態にしなくてはいけないということだ。

 資金不足という悪条件も重なる中で森岡が思い付いた奇策が、本の執筆だった。USJのV字回復を記した本はベストセラーとなり、メディアを振り向かせたのだ。

 さらに、認知度90%達成のためのウルトラCも実現させた。14年4月、安倍晋三首相とキャロライン・ケネディ駐日米国大使がUSJに駆け付け、3カ月後となるハリー・ポッターのグランドオープン日を発表したのだ。USJは一民間企業のテーマパークだが、「日本の観光業活性化」という大義名分での働き掛けに、政府関係者が応えるかたちで実現した衝撃のマーケティングだった。

 こうした幾つもの工夫と努力を重ね、いよいよ迎えたオープン日にはメディアが大挙して押し寄せた。露出価値でUSJオープン時の10倍以上という、すさまじいPRになったという。計測上の認知度は100%にまで到達し、200万人達成シナリオも優にクリアした。

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『週刊ダイヤモンド』7月2日号の第1特集は「『確率・統計』入門」です。

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 戦略・計画づくり、意思決定などなど、ビジネスのかなりの部分は予測に基づきます。そこで私たちをサポートしてくれる心強い道具が「確率」とそれを基礎とする「統計」、「微分積分」などのビジネス数学です。成否のカギを握っているのです。

 特集記事では入門から応用まで、特に大事なところ、役に立つ〝おいしい部分〟を網羅しました。ぜひお読みださい。

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