加藤 努力には2つあるのです。本来の自分であろうとするために必要な努力と、自分を否定する努力があります。日本では「努力はいいことだ」と双方を同じように扱っています。ここが、問題なのです。

 努力をしていて何かがおかしいと感じたとき、たとえば「どうもつまらない」「理由もないのにイライラしたり、焦る」といった場合は、意志と努力に何らかの誤りがあることが多い。その場合、「自分を否定する努力」をしているかもしれないのです。

 意志は、自己破壊的に働くことがあります。官公庁や大企業でエリートコースに乗り出世する人などは、意志は強いはずです。しかし、なかにはうつ病になったり自殺をしたりする人が現れることがあります。そういうケースでは、自分を否定する努力をした可能性があるのです。頑張った末に自殺をするのは、いかにも悲劇です。「自分でない自分」を生きている人は、成功したように見えても不幸なのでしょうね。

筆者 確かに、そのように思います。

そもそもウサギとカメが
競争すること自体に意味がない

加藤 アメリカにデヴィッド・シーベリーという心理学者がいます。彼は全米を歩き、悩んでいる多くの人たちから話を聞きました。悩める人には共通したものがあり、次のひとことが言えなかったと指摘しているのです。

 それは、「私は、そういう人間ではありません」という言葉。このことを言えなかったがゆえに、自己否定的な努力をすることになり、次第に自分ではない人生を歩むようになったと報告しています。

 私はこのことを知ったとき、童話のウサギとカメの話を思い起こしました。ウサギがカメに「どうしてそんなに遅いのか」と声をかけますよね。考えてみると、そんなのは余計なお世話ですよ。カメは「私はカメですから、遅いのが当たり前」と言えなかったのです。競い合うわけですから、随分と無理をして歩いたのでしょう。

 そもそも、ウサギは仲間と一緒に野原で遊んでいたら、カメと出会うわけがない。ウサギは仲間とのコミュニケーション力が低く、孤立していたのだと思います。あれは、自己不在のウサギと自己不在のカメとの出会いであり、どのような結果になるにせよ、双方とも幸せにはならなかったと思います。最善の生き方をしていないのだから、うまくいかなくなるのは当然なのです。

筆者 日本の企業社会では、自己不在のウサギとカメのような人が多いような気がします。自分の性格、気質や能力、適性などに合わない生き方をしているから、会社員は「学歴病」になっていくのではないかと思います。