後悔しない認知症#5

「介護はみとりの過程。なぜあんなにしっかり者で社交的で料理も上手だった母がこんなになってしまったのか、頭で分かっていても心がなかなか追い付かなった」。特集『決定版 後悔しない「認知症」』(全25回)の#5では、数々のテレビ番組でメインキャスターを務めたジャーナリストの安藤優子氏が、生放送や取材に駆け回る多忙な毎日の裏で、約16年間にわたった実母の壮絶な認知症介護の日々を振り返る。(聞き手/ダイヤモンド編集部 野村聖子)

「ベランダから飛び降りてやる!」
晴天のへきれきだった母の異変

 母の場合、実は「認知症」と明確に診断されたのはそれらしき症状が現れてから数年後、高齢者施設に入居してからでした。多くの認知症の方と同様だと思うのですが、母も「自分は至って普通」だと、病院にはかたくなに行こうとしませんでしたから。

 そして専門医はどこにいるのか、どの診療科にかかればいいのか。適切な診断を受けるための情報も乏しい。受診を嫌がる認知症の親を医療につなげるのは、ごく普通の家族にとって非常にハードルが高いと感じました。幸い、母が入居した施設にクリニックが併設されていて、そこでやっと認知症の確定診断を得ることができたのです。

 最初に母の様子がおかしくなったのは、70代前半の頃でした。ある日「ベランダから飛び降りてやる!」と叫んだのです。当時は年齢的に「まだ早いな」と思ったのですが、今にして思えばすでに老人性うつの症状が現れていたのでしょう。

 それからしばらしくて、母が玄関先で転倒してそのまま起き上がれず、一緒に暮らしていた父も助け起こすことができずに、一晩毛布だけ掛けて床に横たわって過ごすという事件が起こりました。

 明朝、駆け付けた姉が万が一のために救急車を呼んだのですが、マンションの高層階に住んでいたため、はしご車が出動するなどの大騒ぎに。大正生まれの母にとって、たかが転倒で近所を騒がせたショックと羞恥心は耐え難く、その一件以来人が変わったようにふさぎ込むようになりました。