有山智雄(ありやま・ともお)
建築委員会委員長 開成高等学校理科(地学)教員
1960年東京生まれ。開成高校卒業。東京大学理学部地学科卒業、同大学院修了。東京学芸大学附属高校に4年間勤務後、89年から現職。著書に『地学基礎』『地学』(啓林館)、『書き込みサブノート地学基礎』(旺文社)など。
大友義博(おおとも・よしひろ)
建築委員会副委員長 開成高等学校美術科教員
1965年熊本生まれ。東京藝術大学絵画科油絵専攻卒業、同大学院修了。河合塾美術研究所を経て、現職。日展特別会員(審査員)、白日会常任委員。著書に『人物デッサン攻略77のポイント』(日貿出版社)、監修書多数。
創立150周年で高校の校舎を一新
開成は超伝統校だけに、記念プロジェクトや校舎に対して関係者の熱い思いが実に多く存在する。こうした多様な意見をくみ取り、検討・計画から工事までを一貫してまとめ上げてきたのが、教職員で組織する建築委員会だった。生徒の活動の活性化を念頭に置いた一本筋の通った設計と、中学校校舎との連携にも配慮した使いやすさを実現する校舎の配置が実現し、創立200周年に向けた新たな学園の姿が見えてきた。
――JR西日暮里駅のホームから、開成の新しい顔となる新校舎がよく見えますね。
有山 開成の新しい顔ができたと思っています。このファサードは大友が実質的にデザインしてくれました。まだ最初のA棟が竣工しただけで、プロジェクト全体の完了は2024年7月を予定しています。
大友 開成らしい力強さを直線で示しました。すっきりとまとまった最終的な姿を2年後にはご覧いただけるようになります。昔あった時計台のある校舎を懐かしむ声もありましたが、この校舎ではこのファサードが新しい象徴になると考えています。
――いつ頃からこのプロジェクトは始まったのですか。
有山 建築委員会が武藤敏郎前理事長の下で正式に立ち上がったのは2013年でした。その時から現在まで、私は委員長を、大友は副委員長を務めています。建築委員会は毎年約10人のメンバーで、入れ替わりもあり、のべ30人ほどが関わってきました。
大友 私の場合、それより前に当時の芳野校長に声を掛けられて、内々に新校舎の図面や模型づくりを手がけ始めたのが09年のことでした。当時はグラウンドに新しい校舎を建てる方向で考えていました。
――グラウンドに新校舎を建てるほうが建て替えがしやすいように思いますが、そうはしなかったのですね。
有山 開成にとって、運動会はとても大切な行事です。運動会を行うグラウンドをつぶすという選択はすべきではないと考えました。そこに仮設校舎も建てられませんから、既存校舎が建っているスペース内で解体と新築を同時に進めています。そうまでしてグラウンドを守ったのですが、新型コロナ禍で20年には運動会を開催することができず、本当に残念でした。
――難解なパズルを解くようなものですね。聖学院が新校舎を手掛た際にも十数年かかったといいますが、ずいぶん長い期間、お二人とも関与していらっしゃる。
有山 プロジェクトが立ち上がった翌年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致が決まり、それから建築費の高騰が続いたこともあり、プロジェクトが2年間凍結されています。しかも、武藤敏郎さんは組織委員会事務総長・理事に就任されてしまいますし。
――先生方の要望も多いと思いますから、大変でしたでしょう。
有山 現場の意見をくみ上げ取りまとめるのが、私たち建築委員会の役割です。できるだけ耳を傾けようとアンケートを取ったり、公聴会を何度も開催しましたが、集まった要望が非常に多く、欲しいスペースがとんでもない広さになり胃が痛くなりました。
大友 私はこの学校の卒業生ではないので、外からの視線で冷静に見るようにしています。「まだ使えるのだから建て替える必要はない」というそもそも論もありましたが、未来の生徒のことを思うと、船で例えれば、世界の大海原に乗り出して行けるようなものを新しく用意するべきだと考えました。