
2021.11.17
大映社長にプロ野球オーナー、永田雅一の映画、野球、競馬放談(前編)
映画、プロ野球、競走馬……財を成した経営者が手を出しがちな典型的な道楽だが、大映社長の永田雅一も、その一人かもしれない。1925年に日本活動写真(現日活)京都撮影所に入所し、映画の世界に入った永田は、34年に自ら第一映画社を設立した。
ダイヤモンド編集部論説委員
ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。
2021.11.17
映画、プロ野球、競走馬……財を成した経営者が手を出しがちな典型的な道楽だが、大映社長の永田雅一も、その一人かもしれない。1925年に日本活動写真(現日活)京都撮影所に入所し、映画の世界に入った永田は、34年に自ら第一映画社を設立した。
2021.11.10
森永製菓は1899年に、創業者の森永太一郎(1865年8月8日~1937年1月24日)が、東京の赤坂溜池に開設した2坪程度の菓子工場が最初だが、森永が洋菓子製造を習得したのは米国で、帰国までには数々のドラマがあった。
2021.11.3
富士山の麓、山中湖畔の山梨県忍野村。広さ54万坪にわたる森の中に、ファナックの本社地区が広がっている。コーポレートカラーである黄色で染められた建物が林立する光景は、初めて訪れる者を圧倒する。1972年に富士通の計算制御部から独立したファ…
2021.10.27
女性用ストッキングのトップブランドであるアツギは、創業者の堀禄助(1908年11月1日~93年6月15日)が1947年に設立した厚木編織が発祥である。高校卒業後、教師となった堀は、貧困をなくすことに使命感を抱き実業界に転身、片倉製糸紡績(現・片倉…
2021.10.20
1875年、長崎県壱岐島に生まれた松永安左ヱ門(1875年12月1日~1971年6月16日)は、89年に慶應義塾に入学、福沢諭吉から直接薫陶を受けるとともに、諭吉の娘婿・福沢桃介との縁を深め、共同で福松商会を創業する。さらに2人は福岡県で電力事業と鉄…
2021.10.13
松尾静磨(1903年2月17日~1972年12月31日)は、「戦後の日本航空業界の父」と呼ばれる人物である。ライト兄弟が米ノースカロライナ州で初の有人飛行に成功した1903年、佐賀県に生まれた松尾は、28年に九州帝国大学工学部機械工学科を卒業すると、…
2021.10.6
三大財閥の“番頭”たちの手記。前回に続いて三井合名で取締役総務部長を務めた佐々木四郎の証言である。後編は、二・二六事件後の1937年に池田成彬が退任してからの話である(池田はその後、第14代日本銀行総裁に就任、大蔵大臣なども務める)。ま…
2021.9.29
3回連続でお届けしている三大財閥の“番頭”たちの手記。今回は三井合名で取締役総務部長を務めた佐々木四郎。1944年から3年間、三井不動産の社長を務めた人物だ。佐々木が繰り広げる昔話は、昭和初期から第二次世界大戦にかけて、主に軍人たちに振…
2021.9.22
今回も「ダイヤモンド」1952年3月15日号に掲載された三菱、三井、住友の三大財閥の“生き字引”による証言を紹介する。今回は住友第七代総理事である古田俊之助による「住友憶い出すまま」と題された手記である。前回紹介した石黒俊夫は、第2次世界…
2021.9.15
今回は、「ダイヤモンド」1952年3月15日号に掲載された石黒俊夫(1892年1月5日~1964年6月15日)の手記を紹介する。同号では、三菱、三井、住友の3大財閥の“生き字引”たちが、創業家との昔話や第2次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ…
2021.9.8
明治から100年という節目である1967年の12月4日号で、「明治100年・日本経済史への証言」と題された特集が組まれ、清水雅(1901年2月12日~1994年12月24日)が百貨店業界の今昔について語っている。
2021.9.1
先週に続き、日本曹達の創業者、中野友禮(1887年2月1日~1965年12月10日)による科学エッセイを再掲しよう。翌号に掲載されたコラムでは、二酸化炭素の増加というテーマを引き継いで、「炭酸ガス増加原因に最も大きな影響をなすものは海水であって…
2021.8.25
日本のソーダ工業は、1914年の第1次世界大戦までは多くを輸入に頼っていたが、大戦景気でソーダ製品の需要が膨らみ、参入が相次ぐ。京都帝国大学理学部で中野式食塩電解法(電解ソーダ法)を開発し特許を取得した中野友禮(1887年2月1日~1965年12…
2021.8.18
1953年12月、米アイゼンハワー大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」についての演説を機に、唯一の被爆国である日本の原子力政策が動き始めた。電力などの原子力の平和利用に関しては関連技術を同盟国に供与するという米国の方針に応え、わ…
2021.8.11
日本に流通革命を巻き起こした“風雲児”、ダイエー創業者の中内功(1922年8月2日~2005年9月19日)の、「週刊ダイヤモンド」1982年7月10日号に掲載されたインタビューである。1人当たり実質国民総生産(GNP)が戦前の水準を再び超え、経済白書に「…
2021.8.4
高碕達之助は水産講習所(水産伝習所の後身)を1906年に卒業。高碕は缶詰製造会社の技師として、28歳でメキシコに渡り、水産工場の建設や缶詰製造に従事する。帰国後の17年、高碕は東洋製罐を設立。38年には缶詰技術者の養成と缶詰技術の研究を目的…
2021.7.28
渋沢栄一の三男・正雄が、1935年12月21日号の「ダイヤモンド」で父の思い出を語っている。正雄は31年に栄一が死去すると、翌年に製鉄業以外の関係会社の役職を全て辞任する。そして34年に、官営八幡製鉄所と民間製鉄会社5社が合同して発足した日本…
2021.7.21
「ダイヤモンド」誌1935年9月21日号に掲載された、理化学研究所の大河内正敏(1878年12月6日~1952年8月29日)へのロングインタビュー。全3回に分けて紹介してきた最終回では、製鉄業や人造石油といったテーマを扱っている。
2021.7.14
前回に続き、理化学研究所(理研)の第3代所長、大河内正敏(1878年12月6日~1952年8月29日)のインタビューである。「ダイヤモンド」1935年9月21日号に掲載された「理化学研究所長、大河内博士に物を聞く会」と題されたロングインタビューを全3回…
2021.7.7
日本の科学史に大きな功績を残してきた理化学研究所(理研)が誕生したのは1917(大正6)年3月である。渋沢栄一などの後ろ盾によって設立され、初代所長は帝国学士院長で元文部大臣の菊池大麓だった。しかし、菊池は就任5カ月で急逝、2代目所長の古…
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