
2021.5.12
大正の「米騒動」を渦中で体験した山種証券・山崎種二の生証言
山崎種二(1893年12月8日~1983年8月10日)は群馬県北甘楽郡(現高崎市)に生まれ、16歳で上京、回米問屋「山繁商店」に入る。16年後に独立、米穀問屋山崎種二商店(現ヤマタネ)を設立すると、その後は米相場から株式へ進出し、莫大な財産を築いた…
ダイヤモンド編集部論説委員
ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。
2021.5.12
山崎種二(1893年12月8日~1983年8月10日)は群馬県北甘楽郡(現高崎市)に生まれ、16歳で上京、回米問屋「山繁商店」に入る。16年後に独立、米穀問屋山崎種二商店(現ヤマタネ)を設立すると、その後は米相場から株式へ進出し、莫大な財産を築いた…
2021.5.11
起業への経緯や、その動機は人それぞれだが、共通するのは挑戦心や自分にはできるという自己肯定感。そうした思いはどのように育まれてきたのか。今回は、エレベーター内のスマートディスプレーを手掛ける株式会社東京の羅悠鴻さん。天文学者から起…
2021.5.5
「マネジメントの発明者」と称えられる経営学者のP・F・ドラッカー(1909年11月19日~2005年11月11日)教授と、ソニーの会長兼CEOの出井伸之(1937年11月22日~)。「週刊ダイヤモンド」2001年3月3日号でその2人が対談している。
2021.4.28
「三井ドル買い」事件から35年後の「週刊ダイヤモンド」1967年10月9日号で、当時、三井銀行(現三井住友銀行)の会長として金融界現役の最長老という存在だった佐藤喜一郎が、事件の真相を語っている。貴重な日本経済史の証言だ。
2021.4.21
武田豊(1914年1月6日~2004年2月15日)は、1981年に新日本製鐵の社長に就任、人員削減や設備集約といった合理化や、エレクトロニクス、新素材などの新規分野に経営資源を投入する事業構造の大転換に事業構造の大転換に取り組んだ人物だ。
2021.4.20
人と違うことに挑戦し、リスクを取ってでも新しい道を行く“イノベーター”たちは、何を原体験に、どんな環境でその思いを育んできたのか。今回は、AIを使った事業売買のマッチングなどM&A仲介サービスを行うM&A総合研究所の佐上峻作さん。厳しい経…
2021.4.14
前回は、1987年7月18日号に掲載された西武鉄道グループの元オーナー、堤義明のインタビューを紹介した。今回は義明の異母兄で、西武流通グループの代表を務めた堤清二(1927年3月30日~2013年11月25日)だ。義明の記事と同じく、インタビュアーは精…
2021.4.7
今回は「週刊ダイヤモンド」1987年7月18日号に掲載された西武鉄道グループの元オーナー、堤義明(1934年5月29日~)のインタビューだ。堤の父父親は、一介の不動産業者から企業王国・西武の基盤を固め、衆議院議長を務めた堤康次郎である。康次郎は…
2021.4.6
現代社会が抱える課題に、強い意志と行動力と共に向き合う若者たちは、どのように育ってきたのか。今回は環境活動家の露木志奈さん。幼稚園時代からユニークな教育環境に身を置き、高校はインドネシアのバリ島にある“世界一エコな学校”に留学。現…
2021.3.31
前回に続き、リコー三愛グループの創業者、市村清のインタビューである。理化学研究所の感光紙事業から派生したリコーをはじめ、婦人服販売の三愛、ショッピングセンターの西銀座デパート、結婚式場の明治記念館、航空機燃料に強い三愛石油、日本初…
2021.3.24
市村清(1900年4月4日~1968年12月16日)は、高度成長期の日本産業界を代表する起業家だ。中学を中退して、佐賀の実家で育てた野菜売りをしていた市村は、16歳で地元の銀行に見習いとして採用された後、夜間大学に通いながら銀行員として取締役まで…
2021.3.23
自分にしかできないことを見つけ、強い使命感と共に、人と違う道に挑む。そんな若きイノベーターたちは、どう育ってきたのか。今回は、9歳から茶道の魅力にはまり、お茶の文化と産業の橋渡しをするべく、お茶の製造から販売、啓蒙までを一手に展開…
2021.3.17
斯波孝四郎は、1899年に東京帝国大学工科大学造船科を卒業して三菱合資に入り、長崎造船所に27年も勤務して所長も務めた人物。1934年、航空機分野が統合されて三菱重工業が発足した際、その初代会長に就任した三菱グループの長老の一人。第2次世界…
2021.3.10
スケールの大きな構想を次々と打ち出して「大風呂敷」とあだ名された政治家、後藤新平(1857年7月24日~1929年4月13日)。南満州鉄道(満鉄)の初代総裁や東京市長も務め、関東大震災の際には内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の復興でも活躍した…
2021.3.9
社会課題に果敢に向き合う若きリーダーたち。その情熱と使命感は、どのように育まれてきたのか。今回は、子供の貧困や教育格差の解決に向け、「すべての子に学びを」と訴えて学習支援と居場所支援を展開するNPO法人Learning for Allの李炯植(りひ…
2021.3.3
韓国最大の財閥サムスングループは、李秉喆(イ・ビョンチョル、1910年2月12日~87年11月19日)が、38年に韓国・大邱で創業した三星商会(現サムスン物産)に端を発する。李は日本統治時代に早稲田大学政治経済学部で学んだ経験があり、日本とのつ…
2021.2.24
終戦直後の1946年、旋盤工として働きながら早稲田工手学校(現早稲田大学)で技術を学んだ樫尾忠雄(1917年11月26日~1993年3月4日)は、東京都三鷹市で顕微鏡の部品や歯車などを作る樫尾製作所を創業した。
2021.2.23
険しくとも周りとは違う道を進む。そんな若きリーダーたちの挑戦心は、どんな原体験に支えられているのか。今回は、民間企業の社員に対し、新興国で社会課題の解決に取り組む体験プログラム「留職」を提案・提供するNPO法人クロスフィールズの代表…
2021.2.17
小倉昌男は、東京大学経済学部を卒業後、終戦から間もない48年にヤマト運輸に入社した。71年、父・康臣の後を継いで社長に就任。家業の延長で経営概念のまったくなかった運送業に、市場原理に基づいた経営手法を導入していく。そんな小倉が新事業と…
2021.2.10
第二次世界大戦が終わり、戦地から1000人もの社員が復員してきたときに、常々「出光興産は人間が資本だ」と言っていた出光は、「資本は帰ってきたのだ」と考えた。当時は出光自身、無一文どころか借金を背負っている身で、しかも戦前同様に石油業を…
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