深澤 献

ダイヤモンド編集部論説委員

ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

日本電産・永守重信が20年前に語った権限移譲「売上高1兆円までは僕がやる」
深澤 献
日本電産が2022年4月21日、会長の永守重信(1944年8月28日~)が最高経営責任者(CEO)に復帰すると発表した。日産自動車の副最高執行責任者(COO)だった関潤をCEOに据えて、自らは会長に退き、課題だった「後継者不在問題」にめどが付いたように見えたが、今回も失敗に終わった。
日本電産・永守重信が20年前に語った権限移譲「売上高1兆円までは僕がやる」
ソニーの初出記事、井深大がトランジスタラジオを持って編集部にやってきた日
深澤 献
今回は、単なるインタビュー記事ではなく、東京通信工業(現ソニーグループ)に関するレポート記事をご紹介しよう。「ダイヤモンド」1955年7月21日号に掲載されたもので、筆者はダイヤモンド社の創業者で当時社長の石山賢吉だ。ある日、石山の下に井深大(1908年4月11日~1997年12月19日)が訪ねてくる。当時、井深は47歳。東通工を創業して9年目のことである。ダイヤモンド誌にとっては、これがソニーの初出記事と言える。
ソニーの初出記事、井深大がトランジスタラジオを持って編集部にやってきた日
ソニー初代会長に転身した万代順四郎、銀行一筋時代の回顧
深澤 献
万代順四郎(1883年6月25日~1959年3月28日)は岡山の農家の生まれ。苦学して青山学院大学を卒業すると、1907年三井銀行に入行した。今回の記事は「ダイヤモンド」1955年12月5日号に掲載された、万代とダイヤモンド社の創業者・石山賢吉の対談である。
ソニー初代会長に転身した万代順四郎、銀行一筋時代の回顧
経団連・斎藤英四郎、日商・石川六郎、財界トップが89年に憂えた「国富んで民貧し」
深澤 献
日本がバブル景気に沸いた1980年代後半、まさにそのさなかの「週刊ダイヤモンド」1989年1月7日号で、経済団体連合会会長の斎藤英四郎(1911年11月22日~2002年4月22日)と、日本商工会議所会頭の石川六郎(1925年11月5日~2005年12月14日)という、財界トップの2人が対談をしている。
経団連・斎藤英四郎、日商・石川六郎、財界トップが89年に憂えた「国富んで民貧し」
マツキヨ会長・松本清が松戸市長時代に開設した“すぐやる課”始末記
深澤 献
ドラッグストアチェーンの国内最大手マツモトキヨシの創業者である松本清が、千葉県松戸市小金に個人薬局「松本薬舗」を開業したのは1932年のこと。当初は商品を豊富に仕入れることができず、陳列棚が殺風景だったため、あえて空き箱を並べスペースを埋めた。この箱ごと陳列するスタイルは、現在の多くのドラッグストアに継承されている。
マツキヨ会長・松本清が松戸市長時代に開設した“すぐやる課”始末記
土光敏夫が“昭和40年不況”のさなかに語った「不況克服は輸出あるのみ」
深澤 献
今回紹介する記事は、「ダイヤモンド」1965年8月2日号に掲載された、土光敏夫(1896年9月15日~1988年8月4日)のインタビューである。土光は石川島重工業(現IHI)社長を経て、この年に経営難に陥っていた東京芝浦電気(現東芝)の社長に招かれたばかりである。
土光敏夫が“昭和40年不況”のさなかに語った「不況克服は輸出あるのみ」
高島屋の5代当主・飯田直次郎と、2代目伊藤忠兵衛が花を咲かせた「昔話」
深澤 献
高島屋のルーツは、近江国高島郡(現滋賀県高島市)に生まれた飯田儀兵衛が京都に起こした米穀商「高島屋」にある。“高島”は人名ではなく、地名に由来しているのだ。今回紹介する飯田直次郎(1884年~1952年)は、3代新七の長男。直次郎以降、新七を名乗る伝統は途絶えたが、飯田本家の当主に当たる。
高島屋の5代当主・飯田直次郎と、2代目伊藤忠兵衛が花を咲かせた「昔話」
少子高齢化危機を60年以上前に懸念した人口学者・館稔の先見
ダイヤモンド編集部,深澤 献
少子化・人口減少に悩む現代の日本だが、戦前は「狭い国土に8000万人(当時)という人口を収容できるか」という懸念が支配的で、それが中国大陸への進出という形で戦争の引き金ともなった。そんな時代の「ダイヤモンド」56年9月18日号に掲載された人口問題研究所長の館稔のインタビューが非常に興味深い。
少子高齢化危機を60年以上前に懸念した人口学者・館稔の先見
ソニー井深社長の慧眼、1960年に語った「コンピューター時代の経営者の役割」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
前回に続き、「ダイヤモンド」1960年9月10日号に掲載された、小松製作所社長の河合良成、協和発酵工業社長の加藤弁三郎、ジャパンライン(当時日東商船)社長の竹中治、ソニー社長の井深大による座談会である。
ソニー井深社長の慧眼、1960年に語った「コンピューター時代の経営者の役割」
ソニー井深大が社長座談会で主張した「経営者は大株主であるべき」理由
ダイヤモンド編集部,深澤 献
「ダイヤモンド」1960年9月10日号に掲載された4人の社長による座談会。出席者は小松製作所社長の河合良成(1886年5月10日~1970年5月14日)、協和発酵工業社長の加藤弁三郎(1899年8月10日~1983年8月15日)、ジャパンライン(当時日東商船)社長の竹中治(1900年4月10日~67年4月15日)、ソニー社長の井深大(1908年4月11日~97年12月19日)である。
ソニー井深大が社長座談会で主張した「経営者は大株主であるべき」理由
#12
「日本酒は安過ぎるから粗末に扱われる」黒龍酒造が目指す“価値向上”
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
徹底した品質管理から高い人気を誇る黒龍酒造の日本酒。今では、日本酒にRFIDタグを導入して、流通経路を管理しているという。安心したルートを辿った日本酒の価値は高いものとなるだろう。「日本酒の価格は安すぎる」と話す黒龍酒造代表の水野直人氏は、日本酒の価値を再考するため、あらゆる活動を実施している。
「日本酒は安過ぎるから粗末に扱われる」黒龍酒造が目指す“価値向上”
#11
黒龍酒造が売上減もいとわず「品質管理」を優先した理由
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
日本を飛び出して、世界でも楽しまれるようになった日本酒だが、品質管理が行き届いていないと、その隆盛も長くは続かない。早くから品質管理の重要性に気づき、徹底的にこだわったのが、黒龍酒造代表の水野直人氏だ。取引先をすべて見直し、再構築した。売り上げは大きく減ったが日本酒の品質を優先したのだ。
黒龍酒造が売上減もいとわず「品質管理」を優先した理由
#10
「詳しい人しか飲んではいけない酒」日本酒が致命的欠陥を克服する方法
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
Sake Experience Japanの井谷健代表は、日本酒が一定程度の知識を持った消費者でないと売り場で商品を選択できない状態になっていることを憂う。ワインのマーケティング関係者が長年取り組んできたように、ラベルや販促物を通じて、本当に消費者が求めている情報を適切に提供していかなければならない。
「詳しい人しか飲んではいけない酒」日本酒が致命的欠陥を克服する方法
「春闘方式」を定着させた労働運動家、総評・太田薫の経営者観
ダイヤモンド編集部,深澤 献
今回紹介するのは、「ダイヤモンド」1956年1月1日号に掲載された日本労働組合総評議会(総評)の太田薫(1912年1月1日~1998年9月14日)インタビューだ。労働組合の全国的結合組織で、1950年の発足当時の基本綱領には、「左右両極からの全体主義の台頭を防ぐ」とある。それに多くの組合員が共鳴し、340万人の組合員を抱える日本最大の組織になった。
「春闘方式」を定着させた労働運動家、総評・太田薫の経営者観
#9
輸入ワイン売上1位「アルパカ」はなぜ量販店で“自動的”に売れるのか
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
長い歴史の中で、日本酒が消費者からの支持を失い続け、逆にワインは獲得し続けた理由は何か。Sake Experience Japanの代表を務める井谷健氏は、ワインの生産者とインポーターは、消費者の嗜好性に対し、味わいの面でもパッケージの点も真剣に向き合ってきたことを挙げる。日本酒の関係者はそうした視点と努力が欠けているのかもしれない。
輸入ワイン売上1位「アルパカ」はなぜ量販店で“自動的”に売れるのか
#8
ソムリエ、ラベル、ネーミング…ワイン市場を広げた「情報と教育」の効果
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
日本でワイン市場が形成される過程において、ワインに関する知識の普及だけでなく、サービス技術の向上や飲食店の衛生面や保管環境の確保などの点で、ソムリエという存在が果たした功績は大きい。また消費者に知識や情報を伝えるメディアとして、ラベルも消費者教育に一役買った。こうした「情報と教育」の仕組みも、日本酒がワインに学ぶべき重要部分だ。
ソムリエ、ラベル、ネーミング…ワイン市場を広げた「情報と教育」の効果
#7
サントリー「赤玉」が原点!ワインはいかに日本人の生活に定着したか
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
ワインはいかにして国内外で市場を広げてきたのか。日本人にとっての原点は、1907年に発売されたサントリーの「赤玉ポートワイン」。そこから何度かの“ワインブーム”を経て今に至る。そして、ワイン市場の伸長は日本経済や為替の動向と密接に関係していることがわかる。
サントリー「赤玉」が原点!ワインはいかに日本人の生活に定着したか
#6
日本酒のラベルが「ワイン化」する?表示ルール作りで議論沸騰中
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
国内外の消費者にとって、今の日本酒のラベルは、味わいや“ストーリー”を伝える分かりやすいツールになっているだろうか。日本酒がよりグローバルな存在となり、世界の「SAKE」となるために、ラベルの表示ルールの整備は、生産者から消費者までみんなで考えていくべき課題だ。
日本酒のラベルが「ワイン化」する?表示ルール作りで議論沸騰中
#5
輸出用日本酒に法改正でチャンス到来?高付加価値・少量生産が可能に
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
日本酒には最低製造数量基準があり、年間60キロリットルと設定が高かった。一方で、海外での日本酒ブームも相まって、2020年度の税制改正において、「輸出向け」に限り、清酒製造免許の新規発行が許可されるようになったが……。酒と法律の切っても切れない関係について、元・国税庁酒類担当審議官の刀禰俊哉氏に聞く。
輸出用日本酒に法改正でチャンス到来?高付加価値・少量生産が可能に
#4
日本酒は「おじさんのお酒」?若い世代が持つイメージと海外での評価
ダイヤモンド編集部,深澤 献,上沼祐樹,藤田佳奈美
日本酒は戦後、食糧事情の改善や、高度経済成長もあり、その生産量と消費量が一気に増加した。しかしその後、ウイスキー、焼酎、ワインなど酒のトレンドが移り変わる中で、日本酒はたちまち減少傾向に向かった。一方で海外での人気は高まっているが、日本酒は今後、どんなポジションを目指すべきなのだろうか。
日本酒は「おじさんのお酒」?若い世代が持つイメージと海外での評価
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