新しい「地頭」の概念
竹中 ただし、立派な親の背中を見ても、立派な人になる場合とならない場合があります。
ムーギー ええ。誰とは言いませんが、そうですね。
竹中 私はね、その差こそ「地頭」の差で生まれるのではないかと思うんです。小泉元総理はいつも「学者はすごいよな、こんなに難しいことを考えるんだから」とおっしゃっていたけれど、どう考えても地頭がいいのは学者ではなく小泉さんですからね。
ムーギー 「地頭」をひとことで言うと、どういう力だと思われますか?
竹中 「基礎の基礎」だと思います。人間が社会を生きるうえで感情的に、そして直感的に大事だと感じる「あたりまえのこと」がどれくらい腹に落ちているか。「大人になったら自立する」とか「親は子を愛する」とか「人間は愛情深いし利己的でもある」とか……。
ムーギー なるほど、それは重要な定義です。私が新卒で入社したころから「地頭が大切」とは言われていました。でも、それは論理的思考や記憶力といった「知的OSのスペック」のことという受け止められ方が一般的だったように思います。竹中先生のお考えだと、そんなスペックより知性や感情、コミュニケーションや信頼といった、社会を過ごすなかで必要な資質の集合体が「地頭」ということですね?
竹中 もちろん論理的思考力は大事な能力です。でも、人間は感情で動くのもまた事実。幕末から昭和を生きた政治家、高橋是清は「一足す一が二、二足す二が四だと思いこんでいる秀才には、生きた財政は分からない」という言葉を遺しています。
彼が大蔵大臣のとき、関東大震災の影響で経済が混乱して銀行の取り付け騒ぎが起きそうになったんですね。
ムーギー ああ、つぶれそうな銀行にお金を預けてはいられないと、人々が窓口に殺到してしまったんですよね。それで、金融パニックになってしまって。
竹中 そのとき、彼は何をしたか?銀行の窓口に札束を積み上げたんですよ。
ムーギー おお、「カネはこんなにある、心配することはない」と国民を安心させたんですね!
竹中 そう。「自分たちが銀行に殺到して取り付け騒ぎになったら、健全な銀行まで潰れてしまう」というのは論理です。しかし、人々は「だから銀行に行くのはやめよう」とはなりません。取り付け騒ぎは、「不安」という感情が論理を凌駕したときに起こってしまうんですね。そんな大衆の感情を納得させるために、高橋是清はなにをすべきか理解していた――これこそが「地頭」ではないでしょうか。
ムーギー いやあ、なるほど。相変わらず、先生の話はすっと腹に落ちます。