学校から歩いて十五分ほどの場所にある“縁切り神社”と呼ばれるパワースポットは、いかにも訳あり風な女たちで賑わっており、春風そよぐ快晴であったものの、この一角だけは、どこかどんよりした灰色の空気が渦巻いていた。
神社のいたるところに飾られた絵馬には「主人があの女と別れますように」「上司が左遷されますように」と昼ドラにありそうなドロドロした愛憎劇をイメージさせる言葉で埋め尽くされていた。
ここは、京都の祇園近くにある「安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)」通称、縁切り神社。
小さな神社だけれど、最近ではこの神社が、雑誌やテレビのパワースポット特集で取り上げられているらしく、女性の観光客でごったがえしている。
パワースポットというと、「恋愛運アップ」「金運アップ」といったありがたい恩恵を受けるための場所であるが、この縁切り神社は他と少し違っていた。
名前のとおり「悪縁を切り、良縁を結ぶ」ためのパワースポットとして人気があったのだ。
そして、恋愛だけではなく、「いままでの自分を捨てて、新しい自分と出会う」という心機一転のキッカケをつくってくれるパワースポットでもあるようで、「新しい自分と出会う」ためのお守りも大々的に売り出されていた。
オカルトや迷信は、普段あまり信じないのだが、『祝福できないならば呪うことを学べ』というニーチェの言葉を心の中で繰り返しているうちに、この縁切り神社のことをハッと思い出したのだ。直感、というやつかもしれない。私は、自分の気持ちが吹っ切れるきっかけになればいいなと、早速お願いしてみることにしたのだ。
縁切り神社でのお願いの仕方は変わっている。願い事を心の中で唱えながら、大きな穴が空いた岩の中をくぐるという不思議なしきたりである。
私は手順に従い、心の中でお願いを唱えながら、岩に空いた大きな穴をくぐる。
(どうか気持ちが吹っ切れて、新しい良縁に結ばれますように!そして、心機一転、新しい自分になれますように!)
穴をくぐり、立ち上がると制服のスカートが、湿った砂で汚れていることに気がついた。
「うわっ、いまからバイトなのに……というか、もうこんな時間じゃん!」
私は砂をはらい、急いでバス停へと向かった。バイト先まではバスで約二十分。
バイト先は哲学の道のそばにある、お漬物や、八つ橋などを取り扱う老舗のお土産物屋さんである。
私はバイトに遅れないよう、近くのバス停まで走った。スカートの汚れと、バイトの時間と、少し痛む膝ひざを気にしながら急いでバス停へと向かった。
この時私は、これから自分の身に不思議なことが起ころうとは、みじんも想像せず、観光客で賑わう細い歩道を、肩がぶつからないようすり抜けながら、ただ息を切らせて走った。(つづく)
(第2回は9月28日公開予定です)
原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある