それにしても「祝福できないならば呪うことを学べ」って、ずいぶんストレートな言葉だな、もし周りにこういうことをズバッと言ってくれる友達がいたら、こんなに落ちこまずに済むのかな、と思いながらも、私は心に突き刺さったその言葉を、お気に入りに登録した。

 私は、悲しい現実を突きつけられ、傷心していたものの、友達にこのことを話す気にはなれなかった。

 高校入学を機に家族と離れて暮らすことを決めた時から、「自分のことは自分でなんとかしなくちゃいけない」と覚悟していたことも関係しているだろうが、それ以前に、女同士の友情が少し苦手だったのだ。女同士の友情はパフォーマンスが九割だ。

「かわいそう、元気だしなよ」と励ましてくれてはいるものの、どこか表面的な同情でしかないと、思っていたからだ。

 辛い時、ただ話を聞いて欲しいと思うこともあるが、上っ面の同情で慰められることは、どうも苦手であった。

 同情されて何か状況が変わるわけではない。悲しいことがあっても結局は自分で引き受けなくてはならない。他人から同情を受けることによって自分が抱えた真摯な悲しみが安っぽくなってしまうのはみじめ以外の何ものでもない。それならば誰にも語らず一人で抱える方がいい。 私はそんな風にいつも悲しみと付き合っていた。安っぽい同情を受けるくらいなら、直球で多少厳しいことを言われても、本音で付き合えるような友達がいたらいいな、そんな友達がいてくれたら少しは心強いのかもしれない。と思うこともあったが、自分からあまり心を開かないせいか、そういった駆け引きのない友達が出来たことはなかった。