「また全然違う自分というものをやってみたい」
――「イスラエル後」に見据える、新たな挑戦

斎藤 具体的には、イスラエルでどのようなビジネスの立ち上げに投資されるのでしょうか?また、何社くらいに投資しているのでしょう?

榊原健太郎(さかきばら・けんたろう)
1974年生まれ。名古屋市出身。株式会社アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)創業期において営業統括として、営業本部の立上げ、営業販促戦略、広告商品開発、アライアンス戦略に取り組む。その後、インピリック電通(現電通ワンダーマン)にて、大手情報通信・飲料メーカー・金融会社のダイレクトマーケティング戦略に従事。その後、株式会社アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)に復帰、営業統括として、西日本広告販売ブランチの立上げ、営業本部の再構築、モバイルサイトの立上げに従事。2008年にシード・アーリーベンチャーの経営・マーケティング・営業・人事・財務・CI戦略支援に特化した株式会社サムライインキュベートを設立し代表を務める。著書に、『20代の起業論』(ダイヤモンド社)がある

榊原 基本的に日本と同じです。もちろんITを使った事業であってほしいんですけど、課題を解決するサービスであれば、すべてが対象になりますね。投資しているのは、いまは27社ですね。

斎藤 イスラエルでそれは、すごいです!

榊原 まだ、かなりスピードが遅いなって思っているんです。早く100社いきたいな、と。この事業はいま、イスラエル人の方々に回してもらっています。なので、またちょっと新しいチャレンジを、そろそろしなくちゃいけないなっていう時期です。

斎藤 じゃあ、イスラエルというこの果敢なチャレンジは、もう1回転させたと。

榊原 そうですね、1回転しました。勝手なイメージですが、次のファンドは、半分は日本の大手メーカーさん、半分はユダヤ系企業・金融機関・投資家、その中の1億円は、パレスティナ自治区に100社投資し、失業率を減らし、紛争を減らそうと。

 ただ、すごい矛盾しちゃうんですけど、やっぱり、紛争があるから平和がある、というのは一面で真実で。そして、競争があるから、新しいものをもらえると思うんです。本質的には、争いはなかなかなくならないとは思うんですけど、ただ、みんながやりたいことをやれる世界をつくることができれば、みんな穏やかな心でいられるのかな、と思っています。そういった世界に少しでも近づければいいな、と。

 なので、ノーベル賞を獲る、という以外にも目標があって……。サムライ賞っていうのをつくりたくて。ノーベル賞って爆弾つくった人がつくったわけじゃない。そうじゃなくて、日本人として、世界中に、紛争を止めたり、ビジネスを起こしたりして平和な国にした人たちに、日本としてサムライ賞っていうのをあげたいなっていう。それがゴールです。

斎藤 すごいですね……。今後はどうするんですか?

榊原 いま41歳なんですけど、50歳で違うチャレンジもしようと思ってるんですよ。なぜかというと、僕は琴・三味線屋の5代目なので、50歳以降は、そういった仕事や、ソーシャル・アントレプレナーへの支援をやりたいな、と思っています。あとは、家族に対して、もっと時間を割く。つまり、もう1回、また全然違う自分というものをやってみたいなと。

斎藤 リセットすると。

榊原 こういった、いわゆるベンチャーキャピタル事業とか、インキュベーターって、やっぱり若い人たちに引き継いでいかなくちゃいけないと思っています。僕がずっといてもしょうがないんですよ。僕が死んだときも、ちゃんと回せるように、僕が一歩引いて、徐々に引いていって、それでも回すような形になっていくと、また、次の世代に広がっていくと思っています。