CO2を「環境問題のモノサシ」
にすることの限界?

 こうしたなか、メキシコのカンクンで開催されていた「国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)」が閉幕しました。この会議は、京都議定書に定めのない2013年以降の地球温暖化対策の枠組みについて協議する、重要なものでしたが、「経済発展を目指す途上国VS今日の地球温暖化を招いた先進国」というお決まりの構図のなか、主要課題を棚上げにしたかたちでの合意が精一杯でした。

 そもそも、第8回記事でも指摘した通り、昨年末にデンマークのコペンハーゲンで開催されたCOP15のときのように、「全会一致のコンセンサス方式」では、堂々巡りの議論を繰り返すだけで、今後も問題解決の糸口は見えてこないでしょう。さらには、アメリカ、中国という、2国で世界のCO2排出量の4割以上を占める二大排出国が削減義務を負っていないという点も、この条約を議論するうえでの致命的な欠陥です。しかし、このことは話し合う前から周知の事実です。

 途上国と先進国との対立の構図、そしてアメリカ、中国の二大排出国が参加しない理由は、どちらも経済問題に由来するものです。経済的価値をCO2で直接測ることはできません。だからこそ、もはやCO2は、環境問題を語る「世界共通の指標(=モノサシ)」にはなり得ないことを認識し、見直すべき時期が来ているのだと思います。

 途上国のビジネスマンと話をして感じることですが、彼らは自国に足りないものを満たしていくことがミッションであり、事業領域であると考えています。例えば、エネルギーが不足している国では、新たな発電所を民間主導で建設しようとする動きもありますし、新たな産業と雇用創出のため、重工業化を進める動きもあります。

 当然のことながら、これらの目的は自国の経済的成長、発展であり、CO2削減を目的にしたものではありません。彼らの口からCO2の話が出てくるのは、「このプロジェクトを進めたら、結果的に(先進国は)CO2排出削減を獲得できますよ」といったように、先進国へ最後の一押しをする時です。このことは、CO2排出量が途上国の交渉カードに使われている一方、途上国にとっては本質的な価値を持たないことを意味しています。

 今回のCOP16は、主要課題を棚上げした状態での合意に止まり、今後の方向性を危惧する向きもあります。しかし、京都議定書以降、中国の経済的台頭によって国際経済や、CO2排出量における世界の勢力図が大きく変化している現実に対応せず、従来の枠組みを維持するべきという「あるべき論」で、世界が突っ走ってきたことは否めません。