藤川球児も同様だ。阪神入団時の背番号は球児の名前の音から「92」をつけていた。あまり期待されていなかったことが想像できる。実際、プロ入り後4年間は登板数も少なく、目立った活躍は見せていない。が、5年目に背番号が22に変わると、中継ぎとして80試合に登板して7勝をあげる大活躍を見せた。以後は球界を代表する剛速球投手として、その名を轟かせた。藤川の場合も成長過程での背番号変更ともいえるが、飛躍のいいきっかけになったのではないだろうか。

 もちろん背番号が変わっても、成績が上向かない選手もたくさんいるが、奮起を促すきっかけになることも確か。日本ハムはその思いを斎藤に託したのだろう。

初めてユニフォームに背番号を
つけた球団はヤンキース

 なお、1番は野手の背番号であって投手がつけるには違和感があるという声もあるが、もともとプロ野球の背番号には厳密な決まりはない。初めてユニフォームに背番号をつけた球団はMLBのヤンキースだ。1929年のことで、当初は打順通りに番号をつけていた。必然的に野手のレギュラーがひとケタの番号をつけ、投手が10番台、控え選手が20番台をつけることになるわけだ。それがなんとなく球界の常識となり日本にも伝わって、主力の野手はひとケタ、投手は10番台と思われているに過ぎない。

 当のヤンキースは偉大な選手の背番号を次々と永久欠番にしてきたため、すでにひとケタはすべて欠番になっている状態だし、ポジションに関係なく自由につければいいのだ。

 中には過去の名選手がつけていた番号に、こだわらないスターもいる。自分の活躍によってその番号の価値を高め、ファンが憧れるものにしようというわけだ。イチローの51番がそうだし、松井秀喜氏の55番がそうだ。アメリカでは近代メジャーリーグにおいて初めて黒人として契約し活躍したジャッキー・ロビンソンがつけていた42番が憧れの番号だそうだし、こういうことができるのも偉大な選手の証しなのだ。

 今オフは斎藤以外でも、多くの選手の背番号変更があった。現在決定している主なものをあげると、同じ日本ハムでは岡大海外野手が31から18に、谷元圭介投手が48から22に、福岡ソフトバンクの松田宣浩内野手が5から3に、明石健志内野手が36から8に、埼玉西武の浅村栄斗内野手が32から3に、東北楽天の塩見貴洋投手が11から17に、岡島豪郎外野手が27から4に、千葉ロッテの角中勝也外野手が61から3に、巨人の脇谷亮太内野手が2から12に、阪神の西岡剛内野手はFA移籍で入団した糸井嘉男に7を譲って5に、藤川球児は18から活躍の原点ともいえる22に、東京ヤクルトは荒木貴裕内野手が24から10に変わった。

 斎藤はもちろん、背番号が変わった選手たちが新たなシーズンでどのような変化を見せるか、そしてその番号の価値を高めることができるか、要注目である。