江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「日本人の心に深く宿る『尊皇』という考え方」について聞いた。
鬼っ子の「水戸学」
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
ここに一人、鬼っ子のような「水戸学」が登場する。
これは十二~十三世紀に中国で興った宋学を十八世紀にもなって無理矢理我が国の政治体制に押し込めるように当てはめた代物(しろもの)であった。
具体的にいえば、宋学にいう「尊王斥覇(せきは)」の王に天皇を当てはめ、幕府を覇王と位置づけたのである。
東夷(とうい)北狄(ほくてき)に苦しめられ続けた宋という王朝の政治環境、対外環境を無視し、まるで言葉遊びのように「尊王斥覇」という言葉と考え方をもち込み、流布(るふ)させたのである。
これによってこれまで政治的には平穏な存在であった天皇が、俄(にわ)かに政治的色彩を帯びることになった。
特に、長州の吉田松陰に代表される若者が水戸学にかぶれて過激な主張をアジテートするに至り、「尊皇テロリスト」とも呼ぶべき暴徒が京に溢れたのである。
「尊皇」という考え方
「尊皇」という考え方そのものは、この時代、既に読書人階級である武家には穏やかに根づいていたのだが、長州過激派を核とした一派が政治的野心から出てきた攘夷という言葉とセットにして「尊皇攘夷」を下層階層に向けて単調なリズムで喚くことによって、大きな政治的な流れが生まれたのである。
「尊皇」という言葉は、「勤皇の志士」などというように、かつては「勤皇」と表現することが多かったが、「尊皇」も「勤皇」も正義の基準というものを考えるについては同義であったといって差支えはない。
幕末動乱時に於いては「尊皇」「勤皇」こそが正義であり、「尊皇」に非(あら)ざる者は、今でいえば「反日主義者」、戦時中の表現なら「国賊」である。
「尊皇」派は天皇を、即ち朝廷を守護する立場であるから「官」となる。
「官」にはもともと「大勢の人」とか「おおやけ」という意味がある。
そこで、今風の論理に置き換えれば、「尊皇」という立場、考え方は多数が支持する、或いは支持すべき社会正義であって、従ってそれは「官」であるというような理屈になるのであろう。