AIの台頭や一層のグローバル化、就活の地殻変動などの影響で到来する「仕事が消滅する時代」。そんな時代に向けて必要な「子育て」とは?「高校生に語りかける」形式が読みやすいと保護者からも話題になっている教育改革実践家・藤原和博氏の最新刊『10年後、君に仕事はあるのか?』の内容から、「恥」をかくことの重要性を解説する連載第3回。

無謀に生きて経験値を貯めよう

 10代、20代は、いっぱい恥をかかなきゃダメなんだよと、ことあるごとに生徒には語るようにしています。学校でも、大学でも、会社でも、海外に行ったときも。

 なぜなら、恥をかけばかくほど、君の「経験値」が上がり、クレジットが蓄積されるからです。実際のロールプレイング・ゲームでも、何度も対戦して攻撃方法を覚え、経験値を積みながら次のステージに行くでしょう。

 君たちには、できるだけ「間違うと恥ずかしい」「叱られちゃいけない」「失敗するのは恥だ」という感覚を捨ててもらいたいのです。ただし、なんでも好き勝手にしていいという意味ではありません。

 「できるだけ他人には迷惑をかけない」とか「人が嫌だと思うようなことはしない」とか「その場の空気を読む」というような、学校の先生が生徒指導でよく指摘することは、できないより、できたほうがいいです。

 でも、そのメッセージを過剰に受け取って「恥」の感覚を強くしすぎちゃうと、何もチャレンジできない人になってしまうリスクがあります。

大事なので繰り返しますが、もっと間違っていいし、叱られていいし、失敗していいんです。そうして恥をかきながら「経験値」を積んで、自分の世界観を広げていきましょう。

 敵と対戦しながら、ゲームのステージを次々に登るのと一緒です。

「恥」と「嫉妬」に縛られる日本人

 日本の社会システムには、農業を中心とした村社会だった頃の「村の平和のための安全装置」がまだ働いています。

 たいていの人は意識してないんだけれども、日本人は、その村社会の歴史的なしがらみにいまだに縛られているんです。何が君たちを縛っているか。大人たちも含めて、何に呪縛されているのか。

「恥」と「嫉妬」という感覚です。

 村のボスの立場になってみてください。

 「叱られるのが恥ずかしい」と思わせておけば、村人はあまり羽目を外さないし、みなに標準的な振る舞いを身につけさせるには好都合でしょう。日本人は大人になって社会に出てからも、「叱られるのは恥だから、叱られないように」というきわめて学校的なルールで一生を生きているのだと指摘する評論家もいます。

 また、何かラッキーがあったり、良い条件が得られたり、突出した能力を発揮するような人に対しては「嫉妬」という心理が働いて、「出る釘は打たれる」ということわざ通りに村人からバッシングを受けることになります。これなんか、いまだに繰り返されていることに君も気づくでしょう。

 大成功した有名人が、お金や男女関係などのちょっとしたいざこざをキッカケにマスコミから大バッシングを受けて、その世界を追放されるようなことも、絶えず起こりますよね。次は誰が魔女狩りの犠牲になるのか、楽しみにしている人もいるんじゃないかな。ネット依存症の人などは、こういう機会を狙って悪口の限りを書き連ね、ストレス発散したりもします。

 日本の社会では、「嫉妬」が警察官の役割を果たしているとする学者もいるんです。言い得て妙ですよね。