介護が始まると人生の主役が自分でなくなる

【落合】介護しているとき、手のかからない髪型に変えました。ショートだと、美容院にいかないといけないでしょう。カットしているとき電話がかかってきて、家まで走って帰る光景が想像できるんです。それで、この髪型に落ち着いたんです。友人たちから「怒髪」と呼ばれています。
【橋中】とてもお似合いです。

【落合】私たちの世代は特に、人生の主役は自分自身だと考えてきた。それを浸透させるためのフェミニズムであり、運動だったのに、私の人生でありながら私はどこにいるの?と自問自答した日々もありました。介護するのは嫌じゃない。むしろそうしたいんだけど。
【橋中】自分の時間がどんどん削られていきますから。

【落合】母の介護に、私の24時間を取られたとき、納得できるのかが、大きな問題だったんです。今なら答えが出るんだけど。振り返ってみれば、人生の一時期、必死に誰かのために生きるのは悪くないと、今は言えますが。けれど、介護している間はそんなことすら考えられず、家の中でさえ、走り回っていた。
【橋中】そう、常に急き立てられている気分ですよね。

【落合】医師とのコミュニケーションがうまくいかないときは、それで落ち込む。また、ヘルパーさんに「今日は行けません」と言われたら、私はどうしたらいいのだろうと、途方にくれるわけですよ。介護保険が始まったばかりで、そういうこともありました。
【橋中】制度がまだきちんと機能していない時代ですよね。

【落合】東北出身のヘルパーさんがいきなり、「田植えの時期だから帰ります」とおっしゃる。そんな電話が事業所から突然、かかってくるんですよ。前からわかっているはずでしょう。
【橋中】それはひどい。

【落合】私は、母に心地よく過ごしてほしいと思ったから、ヘルパーさんや訪問介護の看護師さんにも、ご飯をつくってたんですね。母の食事じゃなくて、サポートしてくれる人のために、毎朝ご飯を炊いて、昨日は魚だったから、今日は肉にするとか。私はいったい何をしているんだろうと。苦笑しつつ、心は大荒れで。
【橋中】大変でしたね。

【落合】それも心からありがとうと思って、「ご飯、食べていってね」じゃなくて、ルーチンになって。そんな自分がとても嫌でした。食事を用意するなら、もっと楽しくすればいい。したくなければ、しなければいいのに、と。そんな自分にものすごく疲れた。
【橋中】お母様によかれと思うことが、逆にご自身の時間が奪われる形に…。