需給均衡式に生じる第2の変化は、投資が増えることだ。これは、災害によって損壊した施設や住宅を復旧するためのものだ。どの程度増えるかは、復旧のスピードに依存する。ゆっくり行なえば各年の投資は少なくなる。また企業の生産設備の復興は海外で行なってもよいので、もしそうなれば、国内の必要投資額は減る。
ただし、社会資本や住宅の復旧は迅速に行なう必要があるので、必要投資総額のかなりを、今後1、2年のうちに行なう必要があるだろう。
これに関する定量的評価は本章の3で行なうが、災害のなかった場合に比べて、今後数年間の投資が1割程度増加する可能性がある。これはかなり大きな変化だ。
GDPの需要項目の中で、総固定資本形成は2割程度の比重を占めている(2008年度では22.8%)。したがって、これが1割増加すれば、GDPの2%程度の需要増加が生じることになる。これを受け入れるためには、供給が少なくとも2%増加しなければならない。しかし、電力制約によって供給を増加できない(あるいは、縮小せざるを得ない)のだ。
生産が不変なら、投資の増加を受け入れるために他の需要が減少しなければならない。仮に消費で調整するなら、どの程度の抑制が必要か? 国内家計最終消費支出は、08年度でGDPの56.8%だ。持ち家の帰属家賃を除くと47.6%である。したがって、GDPの2%程度の投資増を吸収するには、持ち家の帰属家賃を除く国内家計最終消費支出が、4.2%縮小しなければならない。これは、かなり大きい。しかも、生産は、不変というよりは縮小する可能性が高い。そうであれば、消費はもっと縮小しなければならない。
「自粛が行きすぎると経済が萎縮して復興もままならなくなる。だから、自粛はほどほどにして、経済に活力を付けよう」という意見が聞かれる。その気持ちはわからなくはないが、それは、供給面に余力がある経済(ケインズ経済学が想定する経済)でのことなのだ。供給面に制約がかかった経済では、そうはいかない。戦時中、日本人は「欲しがりません、勝つまでは」と節約を強制された。それによって節約された資源を戦争の遂行や兵器の生産に投入する必要があったのである。いま必要なのは兵器生産でなく復興投資だが、経済的な条件は同じである。いまどき耐乏生活などと言えば、「何たるアナクロニズム」と思われるだろう。実際、電力を除けば生産能力は十分すぎる面が多いのだから、耐乏生活の必要性を実感することは難しい。今回生じた電力制約は、誠に唐突なものだったのである。
なお、1970年代の石油ショック時にも、供給面に強い制約がかかった。このときには、総需要抑制策と金融引き締めが行なわれた(本章の5を参照)。いま必要とされる経済政策も、そのときと同じ方向のもの(需要追加ではなく、需要抑制)である。
以上のことを繰り返そう。今回の大震災が経済に与えた影響は、第1は国内生産を拡大できない(あるいは縮小せざるを得ない)ことであり、第2は、復興のために投資を増大しなければならないことである。
「投資が増えるにもかかわらず国内生産を増やせない。したがって、いずれかの需要項目を減らさなければならない」というのが、今後の日本経済を束縛する基本的な問題である。「その負担を、誰がどのように負うべきか」に関しての判断が、最終的な資源配分のパタンを決めるのである。
需給均衡式の左辺と右辺でこのような変化が生じるのに伴い、金利や為替レートが変化し、さまざまな項目に影響を与えて、最終的な均衡が決まる。この過程において政策的な介入(財政政策、金融政策、為替政策)が行なわれると、そうでなかった場合に比べて最終的な均衡の形が異なるものとなる。式を構成する各項目をばらばらに見るのではなく、全体のバランスを見ることが重要である。このことの政策的含意を、本章の4で論じることとする。