前回の連載で報告したように、東日本大震災は、引きこもりの当事者たちにも、様々な影響を与えた。

 筆者が訪ねた「みやこ若者サポートステーション」のある岩手県宮古市も、場所によっては、40メートル近い大津波に襲われたという。魚市場のあった鍬ヶ崎の辺りを歩くと、一面に瓦礫が広がっている。土台から上がすべて流されて跡形もなくなっている家も多い。

 そんな被災地の中に、「みやこ若者サポートステーション」はあった。

 様々な事情から、現在無業の状態にある若年者の自立を支援する総合相談窓口。これまで利用してきた100人余りのうち、震災後、7人の所在は、いまだにわかっていないという。

 対象者は、宮古市及び、周辺の自治体に住む、概ね15歳から40歳までの本人及び、その家族だ。とはいえ、ご多分にもれず、高年齢化によって、40歳代以上の利用者も多い。

 宮古市は、内陸部の盛岡市から列車や車で2時間以上かかる。沿岸の市町村は、しかも、震災によって、心が傷ついたり、雇用を切られたりする人たちも急増した。

 このように「みやこ若者サポートステーション」は、三陸沿岸に住み、地域で孤立して、ひとり悩む当事者や家族たちにとって、ますます貴重な存在となっている。

息子の不登校をきっかけに
「父母会」を結成した元高校教師

 このサポートステーションを運営するNPO法人「みやこ自立サポートセンター」の母体になっているのが、岩手県内で、心の相談業務や“居場所”などを開設している、NPO法人「岩手県青少年自立支援センター ポランの広場」だ。

 同広場が「岩手県不登校を考える父母会」の名称で誕生したのは、24年前の1987年。きっかけは、同広場の事務局長であり、当時高校教師だった藤田健氏の次男が不登校になったことだ。