自分の信念を曲げずに主張を貫く姿に
理想と希望のイメージを重ね合わせる人々
京都大学原子炉実験所助教の小出さんは、原発を研究しながらも反原発を唱え、そのことが原因で大学から教授や准教授といったポストを与えられてきませんでした。当然のことながら「原子力ムラ」からも排斥されています。小出さんは、それでも信念を曲げずに正しいと思うことを言い続けてきました。
原発事故が発生すると、相変わらず原子力ムラからは徹底的に無視されますが、期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
彼らはこころを患っているわけではない
現実社会への猜疑心が強いだけ
彼らは、こころの病を患っているわけではありません。
仮に彼らが精神科を訪れて、病名をつけなければならないとしたら、現実社会にうまく適応できないということで「適応障害」と診断することになるでしょうか。あるいは、世の中に対して恨みごとを言い連ねるタイプの人には「パーソナリティー障害」という病名を伝えるかもしれません。
しかし、彼らはそれなりにやる気もあり、優秀で学習意欲も高く、知的好奇心も強い人たちです。それなのに、どこか歯車が咬み合わず、社会にうまく溶け込めない。自分でも社会が受け入れてくれないと思い込んでいるのです。