英国は「監視社会」が構築されているのだが、政府や警察が市民の人権を簡単に制限できるわけではない。英国には、1998年制定の「データ保護法」で規定された「情報コミッショナーオフィス」という個人情報保護の監督機関と、2012年の「自由保護法」に基づいて設置された「監視カメラコミッショナー」という監視カメラの監督機関の、2つの監督機関がある、

 いずれも、政府や警察、諜報機関が市民の人権を侵害することがないよう、政府から独立して監視する「第三者機関」である。これらは、公共空間において犯罪と無関係な一般市民を常時撮影することに強く反対する市民団体の動きに、政府が対応して設置されたものである。

 日本でも、人権侵害を防ぐために、「テロ等準備罪」の廃案をひたすら求め続けるのではなく、「第三者機関」の設置により人権を守るという提案が、野党側と市民運動からあってもよかったのではないかと思う。

 本稿も、「テロ等準備罪」のようなものは、できればないほうがいいと考えている。しかし前述の通り、テロの恐怖は日本に迫っていないと言い切ることはできない。テロ対策は現行法を基に、現行の体制で十分という主張は、全く説得力がないと思う。

 現代社会は、人権を守るために、権力が市民を監視するようなことを一切許さないというような、理想的な状況にはない。人権侵害が起きる懸念があるような、厳しい安全対策を取り、一方で人権侵害を厳しく監視するというような、チェック・アンド・バランスをどう社会の中で機能させるかを考えることが重要ではないだろうか。

 米国にドナルド・トランプ政権が誕生した時、大統領が公約通りにすべてを実行したらどんなことになるかと世界中が恐れた。しかし実際は、米国の厳格な三権分立が効果を発揮し、大統領の公約は、議会や司法の高い壁に阻まれている(2017.1.24付)。

 日本でも、ただひたすら理想論を訴えるだけではなく、どのように権力に実質的な歯止めをかけられるか、それにはどのような政治・行政の制度設計をするか、現実的に考える時にきているのではないだろうか。

(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)