あいまいな言葉は思考もあいまいにさせる
思考を柔軟にすることともう一つ、「考える力」を伸ばすために重要なことがあります。
それは、「子どもの自分の判断を尊重し、選択をさせる」ということです。
たとえば「和」を大切にする日本では、あいまいな表現が好まれます。これは相手を傷つけまいとする心配りであり、素晴らしい文化なのですが、あいまい表現に慣れてしまうと、思考もあいまいになってしまうのです。
父親の海外転勤などで子どもが欧米の小学校に通い始めた時、最初にとまどうのが表現方法の違いです。欧米の学校では、イエス・ノーを明確にすること、自分の考えを表現することが常に要求されます。
「吉田くんと同じ意見です」などと言おうものなら、「吉田くんと君の考えはどこが同じなのか、あなたの言葉で説明してください」と突っ込まれてしまいます。
多民族、多文化が集まるグローバル社会では、人間は一人ひとりが「違う人格」であるという前提です。無用な誤解やミスコミュニケーションを避けるために、あいまい言葉よりも直接的な意思表現スタイルを取るのです。
親が決めず、子どもに決めさせる
では欧米の子どもたちは生まれつき直接的な表現が得意かというと、そんなことはありません。
家族や周囲の人によってトレーニングされるのです。
はっきりしない子どもに“YES or NO!” “It's up to you!/あなたが決めなさい”と親が選択を迫る場面をあちこちで見かけます。
何を飲みたいのか、どの靴がほしいのか、おもちゃはどれがほしいのか、プールで遊びたいのかサッカーをしたいのか、子どもは常に選択を迫られて成長します。
選択することによって、自分のことがよくわかるようになり「好き・嫌い」や「イエス・ノー」をはっきり表現できるように育つわけです。
一方、日本人の子育てでは、幼い子どもに選択させることはほとんどありません。食べ物も洋服も、靴も、カバンも親が選んで与えるのが一般的です。
親からすれば、子どものためにより良いものを選んであげているわけですが、その一方で、子どもが選択する機会や「僕はこれが好き!」と意思表現するチャンスを奪っているとも言えます。
食べ物などを無制限に選ばせるのはダメですが、洋服、靴下、靴、帽子、歯ブラシ、文房具、おもちゃなど身のまわりのモノについては子どもに選ばせてあげましょう。
子どもは自分で選ぶことによって自分の好き嫌いを認識できます。またモノを大切に扱うようになります。
私の学校にも左右違った靴をわざと履いてくる子がいます。きっと自分で選んだのでしょう。親も子どもの感性を大切にしますから、ダメと言わずにやらせてあげるのです。
このように決める習慣を積み重ねていくことで、子どもは徐々に「自分は何者であるか」「何が得意なのか」「何をしたいのか」と、個を確立していくことができます。
すると、進学やキャリアといった重大な選択肢をする際に、「何をしたらいいのかわからない」などと悩むこともなくなります(何歳の時に何をすべきかなど、より具体的な「考える力」を伸ばす方法は、世界標準の子育て第5章に収録しています)。
考える力は、この不透明な世の中を生きるための必須能力なのです。
次回は、「コミュニケーション力」について見ていきましょう。
(この原稿は書籍『世界標準の子育て』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)