「厳しい場所」にはひとりで行きなさい

マレーシア大富豪が、敵対する大企業のボスを<br />「味方」に変えた一言とは?【交渉術】小西史彦(こにし・ふみひこ) 1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへの移住を決意。1年間、マラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。73年、マレーシアのペナン島で、たったひとりで商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、93年にはマレーシア証券取引所に上場。製造業やサービス業約45社を傘下に置く一大企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ」を授与。現在は、テクスケム・リソーセズ会長。既存事業の経営はすべて社著兼CEOに任せ、自身は新規事業の立ち上げに采配を振るっている。著書に『マレーシア大富豪の教え』(ダイヤモンド社)。

 後日談があります。
 実は、そのころから東南アジア諸国で貿易自由化の動きが活発化していました。ライターの関税も、40%が30%へ、さらに27%、15%と下がっていきました。それくらいならば心配ありませんでしたが、近い将来0%になるのは確実でした。

 だから、私ははやめにライター生産からは撤退すべきと決断。すると、部下が「商権はどうするんですか?」と聞いてきました。私がライターに名付けた「アラジン」という名称が、マレーシアではトップブランドだったからです。

 そこで、私は一計を案じました。
 例のタイ人のオーナーに「アラジン」のブランドでOEM生産(他社ブランドの製品を製造すること)を引き受けてもらおうと考えたのです。実は、私たちは月産280万個でしたが、彼らは月産4000万個。関税がなくなれば全く勝ち目はありません。しかも、かつては粗悪品だった彼らのライターも急速に品質を向上させていたので、OEM契約をしてもいいだろうと判断したわけです。

 まだ関税が0%になったわけではありませんから、私たちのビジネスは十分利益を出せる水準でしたので、話をもちかけたタイ人オーナーも「え? なぜやめるんだ?」と最初は半信半疑。しかし、オーナー・ファミリーをペナンに招待して、工場をはじめすべてを見せて、「マレーシアの280万個のマーケットは全部あなたに渡す。その代わりちゃんとOEMで協力してほしい」と言うと、「もちろん」とOEM生産を引き受けてくれたのです。

 実際に、彼は誠実にビジネスを進めてくれました。
 結果、かつて自社で製造したよりもはるかに安価にライターを仕入れることができるようになりました。私たちは、もてる営業力を駆使して大々的に販売しましたから、お互いに大きなメリットのある取引となったのです。

 この5年後には、予想どおり関税は撤廃。あのままビジネスを続けていたら、危険な状況に陥っていたでしょう。かつての「敵」を「味方」にすることで、私はその危機を未然に避けることができたのです。

 これは、私の長いビジネス経験のなかでも、非常によい思い出です。
 いつもこんなにうまくコトが運ぶわけではありませんが、このとき私が単身タイ人オーナーのところに乗り込んでいかなければ、決して起こらなかった出来事です。たったひとりで覚悟を決めて相手と向き合うことで、「敵」ですら「味方」にすることができる。これは、私の信念となっているのです。

 だから、若い人たちにも、難しい局面でこそ、ひとりで交渉に臨む覚悟をもってほしいと願っています。その覚悟が、確かな信頼を勝ち取る鍵であり、人生を大きく拓いていく起爆剤になるのです。