「昭和八年になりまして、大開町付近の工場では狭くなったので、当時の門真村に工場本店を移すことにしました。

 それからはもう奥さんも仕事に関係することがなくなりまして、家庭本位の仕事になったわけであります。その後は、私がみなさんとともに商売一途でやってきたというような状態であったと思うのであります」

 幸之助は、そこまで語ると少し顔を上に向けて、何かを思い出そうとするかのように遠くを見つめた。

「そういうことで、今日この五〇周年の記念日を迎えるにあたりまして、一番感慨深いのは、私自身であることはもちろん、奥さんも同じく感慨深いと思います。そこで今日は、二人で喜んでここに参上した次第でございます」

 幸之助は、再び後ろを振り向いて、むめのに目を向けた。七〇〇〇人の目が、一斉にむめのに向いた。むめのは、何が起こるのか、と身構えた。だが、出てきたのは、むめのが予想もし得なかった、思ってもみない幸之助からの言葉だった。

「どうも奥さん、長い間ありがとう」

 目の前で、むめのに向かって深々と頭を下げる幸之助の姿があった。松下電器産業創業五〇周年記念中央式典の会場を埋めた人々から、万雷の拍手が鳴り響いた。

 見れば、全員が起立し、むめのに視線を注いでいる。知った顔がある。幾人もある。昔、寝起きを共にした住み込み店員たちだ。平どんがいる。せい吉の顔が見える。和どんも。その誰もが涙ぐんだ目で、むめのを見上げていた。

 会社の関係者ばかりとはいえ、幸之助が大勢の目の前で自分への感謝の言葉を発したのは、これが初めてのことだった。彼らはそれを知っていた。むめのは、もう涙をこらえきれなかった。

〈それにしても、むさんこな(無茶な)お人やった〉

 浮かんだのは、これまで幸之助と歩んできた険しい道のりだった。だが、優しい言葉をかけられたことなど一度もない。言葉に出してはくれなかったけれど、心の中では感謝の気持ちを持ってくれていた。それがわかっただけで、むめのはもう、胸がいっぱいだった。これ以上の幸せは何もない、と思った。涙をぬぐうハンカチを手に頭を下げるむめのに、拍手はいつまでも鳴り響いていた。
 

著者:髙橋誠之助(たかはし・せいのすけ)
1940年京都府生まれ。1963年神戸大学経営学部卒業後、松下電器産業株式会社(現パナソニック)入社。主に広島営業所などで販売の第一線で活躍。入社7年目、29歳のとき突然に本社勤務の内示があり、「私は忙しい。松下家の家長として十分なことができない。それをきみにやってほしいんや。よろしく頼む」と松下幸之助直々の命を受ける。以来、松下家の執事の職務に就き、20年以上にわたり松下家に関する一切の仕事を担う。幸之助とむめのの臨終にも立ち会い、執事としての役目をまっとうする。その後、幸之助の志を広めるために1995年に設立された財団法人松下社会科学振興財団の支配人となる。2005 年、財団法人松下社会科学振興財団支配人、定年退職。

 


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