「今日ともに列席している私の家内─私は『奥さん』と言うておるのですが─、奥さんも、約一六年間は工場が住まいと一緒でしたので、一方で仕事を手伝い、一方で当時の住み込み店員の世話をしてまいりました。いわば家族主義でやってまいったのであります。
その当時の住み込み店員の方で、本日出席しておられる方も相当おられると思うのですが、当時を思い出しますと、非常に懐かしい生活であったと思うのであります。一家団欒と申しますか、店中が渾然一体となって、起居をともにして仕事をしてまいったのであります。
そうするうちに、だんだんとお得意先も増え、忙しさも増してきたのであります。しかし、その当時、仕事はしておりましても、その目標とする確固たる基本方針や使命というものは、実は考えていなかったのです。ただ、一般的な社会通念に基づき、商売をする以上は熱心にならなくてはならない、お得意先を大事にしなくてはならない、また製品はいいものをつくらなくてはならない、というようなことを、できるだけ誠実にやっていこうという考え方で、みなさんとともに仕事をしていたと思うのであります。
そういうことで、いわば家族主義という状態で、一六年の間、仕事が進められたと思うのであります。したがって、奥さんもその中の一員として、ともに仕事をしてきました。よく喧嘩をいたしましたけれどね。
これはやはり商売のほうを手伝ったり、店員の方々の世話をすれば、いきおい彼女も主張があったり意見があったりしますから、私に対してあれこれ言うたりするようなこともございました。まあ始終言い合いをして、一六年間をともかく過ごして、店は逐次繁栄してまいりました」
なつかしい光景が、むめのの中に去来した。住み込み店員への世話は、むめのの役割だった。何十人分もの食事を作り、洗濯をする。我が子のように面倒を見ていたからこそ、幸之助が住み込み店員をどう処遇するかには、強い関心を持った。時には幸之助と激しい言い合いをしている姿に、従業員が驚いていたこともあった。あの頃、自分はまだ、会社という仲間の一員だった。