大河ドラマの脚本は二年かかります。
それはもう命を削ってやっていました。
――脚本はどのくらいの期間で書き上げるものなのですか。
1本で、だいたい2週間くらいはかかります。3本だと、1カ月半はかかる。今回は、関西の言葉でしたし、時代考証もありましたから、もう少しかかりました。
僕の場合は、ワープロにたくさんメモを貯めておいて、そこからいろんなことを考えて作っていきます。
それはもちろん、苦しいですよ。考えて考えて考え抜きますから。大河ドラマなんて一年やると、本当に大変です。実際には、二年かかりますけどね。それはもう命を削ってやっていました。
――『神様の女房』では、特にどんなことに気をつけられたのでしょうか。
やっぱり、どこまで許されるか、ということでしょうか(笑)。あれだけの人ですからね。日本全国、みんな知っている。しかも今回は、男性の視聴者も多いと思います。社員がみんな見る会社もあるでしょうしね(笑)。
ただ、松下幸之助さんが昔こんなに貧乏で苦労していたなんて、多くの人が知らないと思うんですよ。二股ソケットは知っていてもね。しかも丁稚から始めて、今太閤と呼ばれるほどになったわけですね。
このサクセスストーリーは感動的でもあるんですが、これだけでは、やっぱりつまらない、というのが僕の考えなんですね。それは誰でも知っているわけですから。本当はどんな人だったのか、がやっぱり大事なんです。そこに共感してもらえたら、と思いました。
むめの夫人も同様です。ずっと手伝っていた会社の仕事を離れる場面があるわけです。原作ではあまり詳しく書かれていませんでしたが、それはもう後ろ髪引かれないわけがないんですよ。自分も会社を育てた一員だったわけですから。
それは、その後の行動を見ればわかる。社員の奥さんを集めて、教育することを始めるわけです。なんとかして、会社の近くにいたかったということでしょう。
そもそも、夫人はすごく強い人だったと思いますね。だって、兄弟みんな会社に入れちゃうんですから。三洋電機を作った井植三兄弟だけじゃない。むめの夫人の親戚がどんどん会社に入っていった。これこそ、どれだけ奥さんが強かったか、という証でしょう。
奥さんの親戚ばっかりで、幸之助さんは天涯孤独だった。だから、むめの夫人の存在感は、幸之助さんにとっても、ものすごく大きくなっていったんだと思うんです。
――最後にドラマを楽しみにしておられる方にメッセージをお願いします。
小説は大ヒットしても100万の単位、ですよね。ドラマは最初から1000万の単位なんです。焦点を絞るわけにはいかない。できれば、子どもからおじいさん、おばあさんまで、みんな見ることができるものでないといけないんです。
大嫌いな言葉ですが。視聴率というのは、やっぱり稼がないといけないですからね。多くの人に見て楽しんでもらえるものを作る。今回は、それを作れたと思っています。
ジェームス・三木
1935年6月10日、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。
大阪府立市岡高校を経て、劇団俳優座養成所に入る。
1955年テイチク新人コンクールに合格、13年歌手生活。
1967年「月刊シナリオ」のコンクールに入選。
野村芳太郎監督に師事、脚本家となり現在にいたる。
他に舞台演出、映画監督、小説、エッセイなども手がける。
♦主な作品 ♦
映画「さらば夏の光よ」「ふりむけば愛」「善人の条件(監督も)」
演劇「翼をください」「花丸銀平」「真珠の首飾り」「さぶ」「つばめ」
小説「八代将軍吉宗」「存在の深き眠り」「憲法はまだか」「ドクトル長英」
戯曲集「結婚という冒険」「安楽兵舎VSOP」「巨人の帽子」
エッセイ集「ヤバイ伝」('99.1月~'02.4月週刊新潮連載より)
♦TVドラマ受賞作品 ♦
「けものみち」テレビ大賞優秀番組賞(82)
「澪つくし」第7回日本文芸大賞脚本賞(86)
「父の詫び状」プラハ国際テレビ祭グランプリ(87)
「独眼竜政宗」プロデューサ-協会特別賞(88)
「八代将軍吉宗」第16回日本文芸大賞(96)
「憲法はまだか」「存在の深き眠り」放送文化基金賞脚本賞(97)
第50回NHK放送文化賞(99)
「弟」第13回橋田賞大賞(05)
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松下幸之助を、陰で支え続けた“もう一人の創業者”、妻・むめの。五里霧中の商品開発、営業の失敗、資金の不足、関東大震災と昭和恐慌、最愛の息子の死、そして戦争と財閥解体…。幾度も襲った逆境を、陰となり日向となり支え、「夫の夢は私の夢」と幸之助の描いた壮大なスケールの夢を二人三脚で追いかけた感動の物語。
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