夜のお任せコースは予約で3組だけ
返しと出汁で自在に味付けした懐石に誰もが驚く

 お昼は常連を中心にぽつぽつと客が集まってきて、蕎麦を2枚ほど手繰っていく。遠方からの不意の1人客も来るが、亭主が穏やかに迎えてくれるから、ぬる燗など飲みながらまったりと過ごしている。

 そういう客は、この店で人気の鴨汁せいろを注文する。汁の中の鴨肉は丁度客の手元に来たくらいに中に火が通る。その頃合のよさが職人技だ。鴨の旨みが落ちた汁に漬けた蕎麦は酒のあてにちょうどいい。

深山(田舎蕎麦)とせいろの2色盛りに次いで人気の鴨汁せいろ。鴨肉は中がレアで客の手元にくると頃合になる。鴨とぬる燗の相性がよく、これが蕎麦屋酒にはまる原因となる。

 夜は予約客が多く、3組までしか取らない。夜はお任せのコース料理で、これが楽しみで来るリピーターが多い。この日は遠くから初めての予約客の訪問がある。

「どうだい、ちょっと割烹料理とは違うと思うよ」と島田さんがカウンターから声をかける。確かに、普通に蕎麦屋の懐石料理と考えていると意表を突かれるだろう。

「割烹は料理によって出汁や味醂や醤油の割合が決まっている。でも、自分の蕎麦料理は返し※1と出汁、食材の顔を見ながらその配分を変えていく」(島田さん)。

 その言葉どおり、蕎麦料理は返しを中心にして調味が組み立てられている。食材を見ると、ぽっと仕上げのイメージが島田さんの頭に落ちてくるという。

 割烹料理を食べ慣れた人を一度招いて見ると面白い。蕎麦料理がどれだけ気風がいいか、けれんみが無いか、その顔に驚きの表情が浮かぶのを見ることなる。 

※1 返し:蕎麦のつゆの素。一般的には醤油と酒と味醂と砂糖を沸騰させないように煮立て、3日から半年程度寝かす(寝かす期間に幅があるのは店によって蕎麦との相性で選ぶため)。これを本返しといい、煮立てずにそのまま壷に入れ、冷暗所で寝かす場合があり、これを生返しという。つゆは返しと出汁で合わせて作る。珠玉の調味料ともなる。