ハリウッドで評価される黒人映画は、黒人の苦闘や隷属を改変した上で成り立つものばかりだ。2013年の黒人映画は、まさにそのような映画ばかりだった。『フルートベール駅で』は、2009年に黒人青年が鉄道警官に射殺された事件を題材にし、『大統領の執事の涙』は、34年間ホワイトハウスの執事を務めた黒人、セシル・ゲインズの人生を辿っている。極めつきは、十二年にわたって奴隷だった黒人の実話に基づく『それでも夜は明ける』である。

 しかし著者は、『それでも夜は明ける』へ向けられた絶賛は理解できないと述べる。同映画は、奴隷の物語に新しい洞察をもたらしてはいない。黒人奴隷が肉体的、性的、感情的暴力にさらされ、むごたらしいシーンが相次ぐ。著者は、心を動かされたのではなく、残虐さに傷ついて泣いた。奴隷時代の苦しみを少なく見積もるつもりはないが、圧倒的に絶望的な状況下でもへこたれない、傷つけられた黒人の体と精神、奴隷と苦闘の物語にはうんざりしているのだ。

 黒人映画の、より多くの複雑な語りや表現、実験を、現代の観客たちは受け取る準備ができているのではないか、と著者は考えている。

 しかし、皆がそういうわけではないらしい。『それでも夜が明ける』は、オスカーの最優秀助演女優賞、最優秀脚本賞、そして最優秀作品賞を受賞した。

【必読ポイント!】
◆バッド・フェミニスト
◇フェミニストのイメージと限界

 フェミニズムには、正しいやりかたと間違ったやりかたが存在するという、本質主義的フェミニズムというべきものがある。本質主義的フェミニズムが想起させるのは、怒り、ユーモアの欠如、そして、男性を憎み、キャリアに集中する、というイメージだ。この本質主義的フェミニズムは、人間的経験の複雑さや個性を容認しない。

 そのため、「フェミニスト」という言葉はときどき侮辱語のように使われる。加えて、一部のフェミニストは有色人種の女性だけが抱える問題をあまり気にかけていないという現象もある。

 それでいて、フェミニズムのただ一つの正しい道は経済的平等だ、という主張があったり、「若い女性たちはすべてを手に入れられる」という概念がフェミニズムと結びつけられたり、フェミニズムにはあまりに多くが背負わされている。女性およびフェミニストであるためにはどうするのが正しいのか、その基準は常に変化しているようだ。

 フェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグが著した『LEAN IN(リーン・イン)女性、仕事、リーダーへの意欲』は、ある議論を呼んだ。彼女は女性たちに、もっとキャリアに「前傾姿勢(リーン・イン)」になって、野心を持つように説く。しかし、それは一部の女性に向けてであって、対象読者から外れる大部分の労働者階級の女性にとってはあまり役に立たないアドバイスだ、というのである。

 この批判は、女性の公人、とりわけフェミニストであることに伴う危険を象徴している。こうした壇上の立場は、なぜか、誰にとっても正しいことをするように求められてしまう。けれど、エリザベス・スピアーズが「ザ・ヴァージ」に書いたように、ジャック・ウェルチ(あるいはウォーレン・バフェット)のベストセラーが労働者階級の男性に同情的でないからといって、誰が不満を言うだろうか。『LEAN IN』は、すべての女性にあてはまるものとして読むことはできないし、読んではいけないのだ。女性にとって、ルールはいつもそれぞれに違っているのだから。