そもそも、「移動」って人間にとって必要不可欠なことです。こうやって顔を合わせてお話しするのと電話とでは、やっぱり根本的に違いますよね。少なくとも当面は、この壁を完全に超えることは難しい。「移動したい」というモチベーションがあって何らかの実現方法がある限りは、自動車を“所有している”か“シェアしている”かというのは小さな話だと思います。

 むしろ、昔よりも豊かに車体験ができる時代になったと言ってもいいのかもしれない。メーカーは、もう少しそういった視点で自動車というものを定義し直す必要があるのかもしれません。

移動を再定義して
自動車の原点へ立ち返る

──メーカーがスペック追求の方向にアウトプットする中、根津さんはデザインを通じてスタイルや移動の持つ本来の意味合いを提示されているんですね。

 自動車はどんどん高機能化していますが、ここで原点に立ち返ってもいいんじゃないかと思うんです。「動けばいい。でも、雨に濡れたくないから屋根は必要かな」くらいに。すると、今より不便になるわけで、ユーザーが自分でいろいろと工夫しなくちゃいけなくなりますよね。でも、そうやって移動を再定義して、自分で工夫できる隙を生むことで、本来の「欲しい」という気持ちが生まれることもあります。

 超小型モビリティの「rimOnO(リモノ)」の開発にも携わっていますが、リモノは移動に困っている人に、どんなモビリティ(乗り物)なら価値が発揮できるのか、というところから提案したかったんです。そういう考え方をしてみると、従来の自動車が持つ定義とはまた違った価値を持つものが生まれるかもしれません。

根津氏が開発に携わった超小型モビリティの「rimOnO(リモノ)」

──将来的には、そうしたモビリティのデザインが社会をどのように変えていくのでしょうか。

 前提として、乗り物には「街を変える力」があると思うんです。今は人に対して車が戦車みたいに強くなってしまっているから、車道と歩道を分けて歩行者を保護しなくてはいけません。でも、もう少し人間に道路を取り戻して、例えば住宅街の生活道路などでは、車と人間が共存できる場所があってもいいと思います。

 最近は、車にはねられても頭を打たないようにとか、歩行者保護のデザインがやっと定着しはじめましたが、まだまだです。たとえば、幼稚園児が片手で止められるような自動車があったなら、人と混ざって走ったとしても危なくないですよね。

 歩行者保護のためには、そもそもスピードが出過ぎないことも一つの条件ですが、数百メートル離れたコンビニにさえ歩いて行くのをあきらめちゃうような高齢者にとっては、たとえスピードが時速10km以下であっても、十分に役立つ乗り物かもしれません。そんな乗り物が普及すれば、道路のデザインや在り方、さらにいうと人の生活も変わっていきますよね。