【抽象化・構造化】
洞察につながる「問い」と「組み合わせ」

 さて、このようにしてインプットされた知識は多くの場合、そのままストックしても知的生産の現場で用いることができません。

 特に文学・歴史・哲学などの人文科学系の知識は、私たちが日々携わっているビジネスとは直接的なつながりを見いだすことが難しく、したがってなんらかの抽象化・構造化をした上でビジネスや実生活上への示唆を抽出すること、平たく言えば「意味付け」が必要になります。

 抽象化・構造化というのはちょっとイメージが難しいかもしれないので、ここで少し例を挙げておきましょう。

 たとえば、歴史の本をさらりと読んでみると、中世から近世にかけて、欧州にはローマ教皇と各国の君主という、二重の権力構造があったことが書かれています。一方で、たとえば中国に目を転じてみると、長いこと宦官と科挙という、二つの制度が維持されたこともまたわかります。

 そして我が国に目を転じてみると、これもまた幕府の将軍と天皇という、二重の権力構造があったことが思い出されます。こういった知識は、特に歴史に詳しい人でなくても、恐らくはなんとなく知っていることだと思います。

 しかし、こういった知識をそのままストックしておいても、日常生活やビジネスの現場における「知的戦闘力の向上」には直結しません。これらの知識を武器にする、いわば「知識」から「知恵」にするためには、こういった生情報を抽象化して「示唆」や「洞察」を引き出すことが必要です。

 さて、ではこれらの「二重権力構造」に関する歴史的知識の生情報を抽象化すると、どんな示唆や洞察が得られるでしょうか。

 それは「長く続く体制には、権力の集中を防ぐカウンターバランスシステムが働いている」という仮説です。これが一次情報を抽象化するということです。

 ここで一点注意を促しておきたいのが、抽象化された定理は別に真実である必要はなく、仮説で構わないという点です。仮説というのは「××ではないか?」という「問い」として設定されるわけですが、このような「問い」が、さらにインプットの感度を高め、独学システムの生産性を高める大きな要因となります。

 この点については後ほど改めて触れますが、「問い」のないところに「学び」はありません。極論すれば、私たちは新しい「問い」を作るためにこそ独学しているわけで、独学の目的は新しい「知」を得るよりも、新しい「問い」を得るためだといってもいいほどです。

 さて、このようにして抽象化された仮説は、次に構造化によって、別の知識・情報と紐づけられることになります。

 ここで挙げた例、すなわち「暴走による自滅を防ぐためには、権力の集中を防ぐカウンターバランスシステムが必要」という仮説は、権力や組織に関する示唆・洞察ですから、たとえばこれを経営学における「組織設計論」や「ガバナンス」というテーマに紐づける、あるいはマキャベリの君主論などとの関連から「権力とリーダーシップ」というテーマに紐づけることで、また新しい情報の組み合わせが生まれることになります。これが構造化、つまりすでに設定してあるテーマと紐づけることです。