ベストセラー『地頭力を鍛える』で知られる細谷功さんの最新刊『考える練習帳』(ダイヤモンド社)では、眠れる思考回路を起動させる45のレッスンを解説しています。今回は、『ビジネススクールで身につける 思考力と対人力』の著者で、グローバルインパクト代表の船川淳志さんと細谷功さんの対談をお届けします。お2人に共通するのは、元東芝の社員で現在はコンサルタントをしている点。異文化コミュニケーションとグローバル経営を専門とするコンサルタントと、思考法の第一人者。この2人が語るAI時代を生き抜くための「考える力」とは、一体何か?
10年以上の経験がないと、一人前の仕事はできない
船川 細谷さんの最新刊『考える練習帳』を読ませていただきました。いいですね。まさに今、この力が必要だなと思いました。これまでの細谷さんの伝えて来られたことを踏まえた上で、考えるとは「無知の知を自覚する」こと。特に「正解を求めない」こと、「モヤモヤに耐える」ことというのは刺さりますね!
細谷 ありがとうございます。私も船川さんの『思考力と対人力』は出た当時に読んで勉強になりました。もう15年くらい前になりますか。思考力と対人力という取り合わせが斬新でしたよね。
船川 それはうれしいですね。ところで、細谷さんも私も東芝のOBなんですよね。東芝には何年いらしたんですか?
細谷 7年ですね。同期は1000人弱いましたけど、関連会社も含めて、まだ残っている人が多いと思います。
船川 やはりね。私が辞めたのは1982年ですから、当然、他の749人の同期は誰も辞めなかったですし、多分第一号脱藩者でしたね(笑)。細谷さんは東芝では、どんな仕事をされてたんですか?
細谷 原子力事業部に配属になって、ずっと技術者をやっていました。当時は、3次元CADをはじめようという時期で、その導入をやったんです。
船川 原子力ではどんな領域を担当されたんですか?
細谷 プラント設計という分野で、3次元CADでプラント全体や配管等のレイアウトを設計したりとか、そういう仕事が多かったです。でも、十分な経験を積んで一人前の設計者になる前に辞めてしまったというのが正直なところです。あの世界は最低でも10年以上の経験がないと一人前の仕事はできなかったと思います。
船川 まあ、新卒の兵隊ですよね。水力発電とかだと、30年前の図面書いた人とかがいたりしますもんね。
細谷 発電所の中ってひじょうに複雑で、二次元の図面だけ見ててもわからないんですよ。配管同士が干渉していないかどうかとか。それで当時は、発電所の巨大なプラスチックモデルをつくって、物理的に確認していたのですが、それをCADに変えていくという仕事でした。
カタログにある2万点の商品を、頭に入れておけ
細谷 船川さんは、どういうお仕事をされていたのですか?
船川 東芝社内用語ですが、「営推」ってご存知ですか?
細谷 はい。知ってます。
船川 各事業部をまたぐ本社スタッフ部門にある営業推進部が正式名称ですが、私はそこに配属になりました。コテコテの法人営業部隊であると同時に、「オール東芝」の窓口でもありました。とにかく、外からかかってきた電話で「わからないときは営推に回せ」といわれていましたから。だから、上司からカタログを手渡されて、そこに家庭電化製品だけではなく様々な機器も含めて2万点くらい商品が載っていたわけですけど、それらを一通り頭に入れておけと。そういう世界でした。パソコンがない時代ですし。
細谷 それは大変ですね。
船川 当時、東芝からゼネコン及び設備業者への発注額が年間で100億円弱ありました。鹿島建設とか大成建設とかに、エレベーター、受変電設備からファックス、あるいはマンション用のユニットバスなどのいろいろな販売支援を行っていました。政治工作もたまにありましたよ。あの時代ですから。そこに2年いて、そのあと、火力発電の第二営業部で海外プラントに納入する発電機器の部品納入、工場検査の立ち会いとか経験しました。東芝は、原子力から家電、あるいはワープロまで、いろんな事業部がありましたからね。
自分の頭で考えると、やりたいことが違っていた
船川 細谷さんといえば「地頭力」がキーワードですが、私は、地頭力=考える力というのは、今必要とされるリベラルアーツの根幹だと思っています。今、起きている課題を解決するために必要な保有知識とその知識を有機的に結合できるのが、私の考えるリベラルアーツ(一般教養)です。
そのために大事なのがベーシックサイエンス、つまり基礎科学。敢えてこの表現を使うのは、日本は物理と化学で壁を作りすぎているとおもいますので。それと歴史です。歴史をサイエンスの視点でとらえると、もの凄くおもしろい!って研修で言っています。
細谷 リベラルアーツというのは、本来、抽象度が高いことを勉強するものだと思います。今、目の前にある具体的な問題を解決するためには、あえて抽象度の高いことを学ぶ必要があります。かつ、これまでの歴史において起こったことを抽象度の高いレベルで理解し、実際にはどう具体化され解決されたのかを知る。歴史上の問題を、今それをやったらどうなるのか。リベラルアーツとは、そういうことを学ぶための、いわば頭の体操だと思います。
船川 なるほど、そうですね。ところで、東芝はなぜ辞めたのですか?
細谷 当時思ったことと、今振り返って考えるのとではちょっと違うのですけど、そもそも根本的に自分は大企業には向いていなかったんだと思います。とにかく、他人と同じことをするのが嫌いで、自分なりに工夫して新しいことを考えるのが好きなんです。
船川 やはり、「自分の頭」で考える方ですものね!
細谷 20代のときまでは、そういう自分の性格を知らず知らずのうちに封印していたのだと思います。就職した当時は、「自分は定年までずっとこの会社にいるんだな」と思っていました。本当です。辞めるなんて選択肢は考えたこともなかったですね。
船川 何かのきっかけがあったのですか?
細谷 そうですね。3D-CADのように新しいことをやっているときのほうが楽しいというか、先輩のやってきたことを、ただ繰り返すというのがダメでした。ならば、新しいことをやる仕事って何だろうって考えたときに、ITで仕事のやり方を根本的に変えるコンサルタントの仕事が面白そうかなと。
船川 そうでしたか。
個を押し殺して、会社に埋没するのが嫌だった
細谷 船川さんは、なぜ辞めたのですか?
船川 私は、入る前から辞めようと考えていましたから。
細谷 え、それは珍しい(笑)。
船川 そうですね。当時は、「東芝を辞めるのは、人に非ず」という感じでしたからね。
細谷 何が理由だったんですか?
船川 学生時代に武道をやっていたので、海外の練習生、最もみな社会人ですけれど、彼等彼女達のライフスタイルに影響受けていました。つまり、個を押し殺して会社に埋没するというエコノミックアニマルや会社人間という当時の風潮には、凄く抵抗があったんですよ。それで、三年目で辞めてしまったわけです。しかも、次の転職先は決まっていなかったんですけどね。
細谷 それは無謀ですね(笑)
船川 というのも、イギリスで武道の大会があって、それに出たい、というのに加えて、「もっと世界を見たい!」という思いだったわけです。あの当時は、有給休暇なんて冠婚葬祭以外では取れませんでしたから。1982年の話ですが、「おまえ、なぜ辞めるんだ。考え直せ」と、直属の先輩、上司、上司の上司などからかなり引き留めらましたね。辞めるのも「根回し」が必要でしたよ。
細谷 そうですか。幸か不幸か、私はほとんど引き留めに合わなかったですね(笑)。でも、私のときも結婚退社か家業を継ぐ等の家庭の事情以外で辞める人はいなかったですね。
(文・編集部、撮影・宇佐見利明)
(つづく)
※次回は、12月19日(火)に掲載します。