起業家とは
「未来」を生きる人
吉祥寺「小ざさ」は、その後、稲垣篤子氏という後継者を得て、さらに安定することになる。
稲垣氏に「小ざさ」を任せ、前線を退いた後も、伊神氏は毎朝、羊羹の味見をすることはやめなかったという。
たとえ、糖尿病を患ってでもだ。
僕は稲垣篤子氏に幾度となく、亡き伊神照男氏のことを直接話を伺っているのだが、どうしても、伊神氏のことがわからなくなる話があった。
それは、百貨店が進出してきたら、「小ざさ」をたたんで、コーヒースタンド、つまりは今でいう、ドトールコーヒーのような業態で切り抜けろと言ったというのだ。
休むこともなく、まさに命がけで築きあげてきた吉祥寺「小ざさ」と極限までコンテンツの質を高めた「幻の羊羹」と最中の味を、どうして捨てることができるのか、理解できなかった。
しかし、伊神氏の足跡を振り返ってみると、生来の起業家である彼は常にそうしてきたのだ。
そもそも、戦前繁盛していた「ナルミ屋」の屋号も、彼は引き継ごうとしなかった。容易に捨てて、新しく「小ざさ」の屋号でビジネスを始めた。
また、屋台から、現在の1坪の店に移転する際にも、大人気だった団子を、顧客の要望にもかかわらず、ためらうことなく、捨てた。そして、その代わりに「幻の羊羹」を創り上げた。
彼は、とどまることを知らなかった。
生きるために、家族と社員を養うためなら、自分が命をかけて育て上げたものも、躊躇なく捨てることができた人なのだろう。
なぜなら、彼は、常に未来を生きていたからだ。
それこそが、起業家の本質なのではないかと、僭越ながら僕は思うのだ。