物語なしにブランドが成功することもあるが、それは消費者を熱狂させるような商品を出したときくらい。市販車に小幅な改造を加える自動車のサブブランドがその方式で成功した例は少なく、ブランドの浸透には歴史を積み重ねるしかないのが実情である。

 知名度の低いオーテックを日産が成功に導くのは簡単ではないが、可能性がないわけではない。その方法のひとつは、オーテックが刻んできた歴史を前面に出すことだ。

 日産はオーテックを新ブランドと称しているが、オーテックジャパンは実はニスモと同じくらい長い歴史と物語を持っている。

 1986年に設立され、昨年30周年を迎えたオーテックジャパンは、「ミスタースカイライン」と言われた桜井眞一郎氏を処遇するために生まれた会社である。

 桜井氏は1966年に日産に吸収合併されたプリンス自動車工業のエンジニアだった。大東亜戦争で日本がアメリカに敗れるまで中島飛行機、立川飛行機などで活躍した航空機エンジニアが、自動車開発を志して数社のメーカーを立ち上げ。プリンス自動車はそれらの合併を経て成立し、スカイライン、グロリアなどの名車を生み出した。

日産に吸収されてから
日陰者扱いだったプリンス出身者

 日産に吸収されて以降、プリンス自動車出身者は日産社内では日陰者扱いだった。だが、彼らが残した足跡は小さくない。

 例えば「プリメーラ」。欧州車にハンドリングで勝つことを目標に定め、高い能力を持つサスペンション構造を考案した。それを見た欧州メーカーは驚愕し、以後、前輪駆動の大衆車に高度なサスペンションを使用するのが流行した。スカイラインGT-Rともども、日本車が「走り」で世界に影響を与えた事例となった。

 桜井氏はそのプリンス一派として活躍した一人。評価は今日でも分かれており、プリンス派のスターとする人もいれば、手段を選ばないマキャベリストと評する人もいる。その桜井氏は日産の役員になるかどうかが話題になりはじめた頃、病気で休職してしまい、結果的に役員にはなれなかった。