政治に対する国民の不満を増幅
原発事故対策の議事録未作成が発覚
東日本大震災および東京電力福島第1原子力発電所の事故対策に関連する政府の多数の会議で、議事録が作成されていないことが問題になった。
特に原発事故に関しては、(1)国民に対して適切な情報提供がなされたか、(2)原発事故対策は適切であったか、(3)事故対策に対して誰がどのような貢献をし、責任を持っていたのか、(4)同様の事故に対して今後の教訓とすべきことは何なのか、などを考える上で、各種の対策会議の内容は多くの国民が知りたいと思うところだ。
情報提供や対策の適切性については、場合によっては法的な責任が絡む問題でもあるし、政治家が絡むやりとりについては、国民の今後の投票行動において必要な基礎データでもある。
今回の議事録の不作成は、「どうせ、後で責任を取りたくないから、議事録作成を意図的にやらなかったのだろう」という、政治家に対する国民の不信の念を募らせることにもなった。
これは自然な感情だろう。筆者だって「怪しい」と感じる。当時の事故対策の主要メンバーでは、枝野経産大臣や細野環境大臣などが、原発事故の対策に引き続き関わりのある要職にあるが、彼らは無責任会議の片棒を担いでいた人たちなのだと思うと、あまりいい気持ちはしない。
野田首相は、議事録不作成に遺憾の意を表し、事後的にでも議事録を整備すると言っている。だが、後から作る議事録は、どうせ当たり障りのない無内容なものになるのではないか。議事録不作成が大きな問題ではなかったことにするためにも、物議を醸すような内容は盛り込まれないだろうと思ってしまう。
政治家への不信も重要な問題だが、国民がチェックすべきは政治家ばかりでもない。震災や原発事故の対策に関わった公務員の行動や判断も、検証の対象とする必要があることは言うまでもない。